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サライに失恋してからますます気合いが入ってきた。恋をして不細工になるならしない方がいい。
私は性格が悪いんだ。今日も職場で言われた[気が強い]と。水分も取らず、トイレも行かずにぶっ続けに仕事をしたのには理由がある。時間内にこれだけの仕事をこなしてみたいと決意したからには死んでもやり抜こう!だ。
[救急車呼んだなんて言われたくないから、ムチャは止めてくれる]そん時にゃあんたに意地悪されたからと言っとくと冗談をかましたのだが、通用する相手じゃない。
遊び心のない人は疲れる。心から真剣に好きと思ってくれるのは嬉しいのだが、ちょっとでも冗談を言うと[本心から好きじゃなかったんだ]これでは窮屈になる。好き、嫌いの前に信頼がなきゃあかんやろ。
本当にサライとは終わったのかちゅうと疑問に思うんだが、終わったと勝手に解釈していると妙な自由を感じたりしてんだなぁ。
失恋の痛手はあらゆる所に力を発揮する。脱水症状を起こす手前まで我慢できたのもサライに対する思いがあったればこそなんだなぁ。そう言う意味では私は真剣にサライを好きであったんだ。
上手くいかなかった出来事も料理次第で何とかなる、が私の腕の良さよ。
でもね、失恋した人の気持ちは分かるようになった。地獄からかったるい気分でヨタヨタと這い上がって来て、最近ちょっと地獄を客観的に見ている。
[やっぱ辛いよね]
ちゃぶ台をひっくり返すくらいの気持ちでないとプラス思考には持っていけないもんだ。
まっ!たくさん恋をして自分を磨くチャンスにするのが魔法の威力なんだが。
私は性格が悪いからもっと素敵になってサライに復讐してやろうとしか考えていない。
いつでも人に感謝していたいってのもあるかな。
せっかく出逢ったのに自分をダメにしたら感謝なんてきっと出来ないもんだよ。愛さずに生きれない人の宿命みたいなもんだ。
本当はみな、私と同じなんだが、傷つくのが怖いから、いつでも優位にたってしか恋をしないんじゃないかな。その手段として金持ちだったり出世だったりするんだろうが、私は性格の悪い人は絶対選ばない。
そう言えばサライから[君はストレートなんだね]って言われたっけ。傷つくのを恐れている人は私の言動は信じない。傷つくまで愛したら絶対何かを得るって私は信じているから傷つくのが快感になっている。
度エムと度エスが微妙に入り混じって妙な性格になっているなぁとは思う。でもね、サライを思う私は本当にいい女なんだなぁと自分でもほれぼれする。こんな女なら男はいちころで参ってしまうんだろうなぁ。
でも勝負はこれからだ。徹底的にこれを武器に闘う。
心から人を愛したり出来るなんてきっと稀なんだと思う。
サライと過ごした時の私を思い出すと、愛おしくさえなる。極自然にそうなれたのはサライだったからだとも思う。
あんな風になれるような人にはもう逢えないのかもと思ったら寂しいけどね。
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出逢った頃のサライから感じていた素直さが次第に消えてゆき、嫌な感情を感じるようになった。
私が何かしたのかどうかは知らないが、そう言った憶測ばかりしていると疲れてしまうものだ。
職場で何となく挨拶を交わすようになった上司がいる。特別な感情がないのがかえって安心感を覚える。人と人の信頼感が無くてはいい関係は続かない。いくら好きでも嫌な関係では好きと言う気持ちは消えていく。
何度となく挨拶を交わしているうちに自然と気を許していくんだろう。
信頼されるような行動がある。感情的な対応は相手に不安を与えるものだ。
サライの感情が美しいと感じていた頃があるのだが、感情は憎しみに変わりやすく脆いんだね。
そう言う激しい気性だから好きでもあったんだが、次第に疲れてしまうもんだ。夏の花火みたいなもんかな。
気持ちが落ち着くのは静かな夜に見る月や星なんだろう。
好きだと意識した頃からある程度の覚悟はしていた。喜びだったものが苦悩に変わる。それらの苦悩が現実を耐える力に転換されていく。
他人の心をコントロールする気はないし、コントロールされた心を欲しいとも思わない。
サライを愛する気持ちは言葉にはならない。仕事場で黙々と仕事をすることで何とか苦しみから逃れている。
恋愛は人を幸せにするためにあるのではないように思われる。私の命の深い部分に向かって私を歩ませるためなのではなかろうかとさえ思う。そう言った予感はサライに逢った瞬間に何度も感じていた。空腹や空虚も辛いのだが、人を愛する心は切なく悲しい。いかんともし難い苦悩に苛まされる。
命の最も深い部分には純粋な願いがある。子供の頃はただ生きていたいと純粋に願っていたのだろう。それは肉体の切なる願いに思える。
愛する心はまた違うのだが、共に人が生きて行く上での命賭けの願いに思える。だが、何故かサライに愛されるために私は生きているのではないとも思う。
今回のことは私が生きて行くためのエネルギーになっている。苦しみも深ければ生きるエネルギーになる。誰にも打ち明けられない苦悩に喘ぐ者なら皆一度は味わったであろう。
あらゆる出来事から引き起こされる苦悩を如何に使うかは私の生き様にも思える。今更、サライから愛されようなどと言う期待は全くない。愛してはいても求めてはいない。
人間が最も不安に陥るのはどっち付かずの状態に思える。死ぬ覚悟をしてしまえば楽になるのだが、皆、中途半端だ。サライに対しても同じだ。好きか嫌いかハッキリしない状態で人を振り回すような人なら、自分の心一つで決めたい。
私はサライを愛している。それだけだ。後はサライの好きなようにしてくれ。
サライがどんな気持ちでメッセージを記したのか知らないが、単なる気まぐれだと思っていたい。
一時ではあったがサライから好意を持ってもらえた自分を誇りに思っている。過ぎてしまえば楽しい思い出になる。それにこんな素敵な人から見つめられたんだってのも今後の生き様に勇気を持って挑めるんだよ。
今は死ぬまで闘っていたいとだけ願う。他人とじゃない。自分とだ。
人は恋愛で自分を見失うけど私は逆だ。過ぎ去った人を振り返りながら、感謝でいっぱいになる。
何かになりたいとは思ったことはないが、素敵な人に見初められたいとは思っていた。そう言うのが自分への自信に繋がっている。私は単純なんだ。
若い時からなりふり構わず生きてきたけど、私が好きになる人もそんな人だ。
カッコつけない生き様が一番素敵だ。
オマケ!サライのことを[今時にしては珍しく男らしい人だね]って誉めてくれた人がいる。
私が愛した人はみんな素敵だ。
生きて行く勇気をくれる人に会えた幸せってのもあるんだ。サライじゃなかったら楽勝だったんだけど、他の男じゃ意味無かったんだろうね。ヤバい相手を選んじゃった!
後悔先立たずって言うんだが、後悔なんてしてねぇよ。こんな経験出来るだけでも人間として最高だ。
心って何だろうね。サライから感じている憎しみと愛がある。どっちがサライの本心か分からないのだが、考えるのに疲れてしまった。
どうでもいい、そんな気持ちになっていく。ギクシャクとした関係に疲れてしまった。
8月14日にサライと私の誕生日の数字が記されていたけど、多分偶然だろう。それから郷ひろみさんの逢いたくて仕方ないが流れていた。それも偶然に過ぎない。私があの日来るとは思ってはいなかったのだから。サライが言ったように全部偶然。サライと逢ったのも偶然。
でも過ごした時間は楽しかった。それだけはサライにも奪えない。私は自分の心に嘘はつかなかった。だからかな?何だかすっきりしている。
悲しいと言う気持ちもあるのだが、そう言う気持ちも素直に認めている。
サライにだけ感じた心がある。サライの瞳にだけ感じた思いがある。
最近、穏やかな時にふっと、(このまま死んでもいいか)と思ったりするのだか恐怖を感じていないんだね。ただ妙に穏やかな気持ちだけだ。未来も過去もなく、今、ここに私が生きている。
悲しいと言う思いの中に佇んでいる。
いろんなことが走馬灯のように巡る。悲しいことや嬉しいこと笑っちゃうような出来事が、全部夢のように現実から遠ざかって行くんだろうね。
どうして人は嘘をつくのだろう。どうして人は自分の心を欺くのだろう。自分を信じれなくなったら他人も信じれなくなる。
[あの人は私の理想なの]
好奇心旺盛な旦那に焼き餅を焼く知人。[じゃあなたも彼の理想の女性になればいいんじゃないの]
相手にだけ理想を求めていたら、いつか心は離れてしまう。似たもの夫婦と言われるのだが、互いに尊重しあっていれば自然と似てくるのだと思う。一人で自分を律せられるほど人は強くはない。
宗教などは多分、神様に導かれるように自分を律する為でもあるのだと思う。
知人は遠くを探さなくても身じかに素敵な理想がいるのに、何故か、彼とは似ていない。
自意識過剰の知人に彼は[君は人のものは自分のもの、自分のものは自分のもの]人には与えようとはしない知人の感覚が私には分からない。
以前に私が書いた言葉を思い出す。[あなたの心は私の中に私の心はあなたの中に]この言葉を思い出すと、互いに思いやりを持ち歩んできた姿が浮かぶ。
相手のことを考えたり思ったりしていると自分の心を忘れてしまう。でも相手が同じように思ってくれていたら、それは心の居場所が変わっただけで失われた訳では無く、むしろ、大切な人を守っているのだと嬉しく思う。自分のところにある心より他者である人の肉体に自分の心を感じる時、一人ではない自分がいる。互いに心が入れ替われるほど思いやれる人に出逢える幸せがあるのだと思う。
対象のない愛では無く、好きな人の理想になろうと努力するのが私は好き。
[今の自分が好き]と言えるのは私が愛した人の理想がきっと私も好きだったんだと思う。
この人の理想の女性になったらどんな女性になれるのかしらと思いながら、生きていて、ある時、ふっと素敵な自分に自信を持ったり、今の自分が好きだなぁと思う時の私の傍らを歩く人がいる。
遠い日のある人を思い出す。まだ若かった頃の私は彼から学ぶだけで与えることは出来なかったのだが、もしかして、私に願っていたことがあったのかも知れないと思った。
[どんな女性になって欲しかったのかな]今では見てはもらえないのだが、それでも叶えたい。
私を愛してくれた人の理想になることが彼への感謝になるように思う。遅まきながらの私からの彼への感謝。
あなたの嬉しそうな顔が浮かぶ度に私も幸せになるように思える。
あなたは優しくて大らかで物事に拘らない女性が好きだったんだと自身の内部で感じる時がある。
現実には傍らにいないのだが、遠い日に感じたあなたの姿勢から私はあなたが理想としていた自分を創造することであなたと言う人間も見えてくるのだと思う。


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