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心にも雑草がしげる。欲望は雑草に似ている。ほっとけば雑草が生い茂り心は草場の影に隠れてしまうのだろう。
心の美しい人は常に闘って保持しているのであって、放置したままでは不可能なんだ。
何の汚れもない心は有り得ない。無意識から魔の手のように忍び寄る欲望との闘いに吐き気を催しながら、死ぬ覚悟で選び取るものがある。私が人間に生まれた誇りに心がある。
美しいものをこよなく愛する心がある。
止めどなく生命の深みから立ち上がる欲望は生物が持って生まれた本能ではあるが、人間は本能に翻弄されることのない精神と心を持っている。
秋の空は静かに彼方まで続いている。切ないほど美しく永遠へと続いているような錯覚を覚える。
だが、私は自分が死に行く身であるのだと確信出来るからこの瞬間に感じるものを愛おしめる。
食料はほんの僅かで足りるとも思う。後は美しいものを眺めて生きていたい。
この美しい世界に私は生きているのだと感じれるのは心があるからなんだろう。心を守り通すことは至難の技にも思える。だが、そんな心が喜ぶものこそが価値あるものにも思える。
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君と会ってから私は人生が切ないものだと知った。札幌の街で毛布を抱え泣きながら歩いていた私は誰かに逢いたくてさ迷っていたのだが、寂しさを癒やすものが何であるのかがわかっていなかったのだろう。
雪の中で無言で背中に手を差し伸べた新坂の優しさが今ここにあればと思う。
サライ、あなたは優しい。新坂とは違うのだけど、どこかしら心が通じるものを感じている。
広いホールで深夜に一人仕事をしている姿が切なく思える。コスモスの花はサライへの私からの呟きみたいなものです。好きな人の側にずっといたいけど出来ない私の願いをコスモスに込めてあなたに贈ります。
誰も私がサライへ贈った花だとは気付かないでしょう。コスモスの花になれたらいいのにね。
サライ、不思議な出会いだったね。
振り返ってみたらまだ一年もたっていない。
サライ幸せになって欲しい。あなたならなれる。心から愛せる人に巡り会って、そこからあなたの人生が始まる気がする。本当は全ての人かそうあるべきだと思うのだが、欲望で濁った心には見えないのでしょう。
サライなら見つけることがきっと出来ると信じている。
サライ、君がいない地球に何の意味があるのだろう。
現代人では無く、野蛮人として君を感じる。とても言葉ではいい現せない存在が君なんだ。
はるか彼方の宇宙から地球にぽつねんと降り立ったように君が地球にいるのが不思議でならない。
現代人は冷酷で心情のない無機質な物体のようだ。
その中で君に合った。今でも君が現実に存在しているのだとは信じれい。
人間が言葉を覚える前に私と君がいる。多分、優しさや思いやりが音も無く人々の心を巡っていたであろう。
そんな時代に二人ぽつねんと佇んでいる。
書店で本を買ってまで読みたいとは思わなくなった。それよりか、私は巷を徘徊していると素敵な出会いに遭遇する。
書物より生きた人間との触れ合いが素敵だ。それらの全てはさりげない瞬間に訪れる。
出会い頭にぶつかりそうになり、笑顔ですれ違っただけの単純極まりない出来事なんだが、得した気分になる。
世知辛い世の中で人は何のこだわりもない出会いに心ときめく。身辺調査なんてのは今の世の中は当たり前になっている。自分の感性より、情報の方が頼りになっているらしい。
根底にあるのは後悔したくないと言う思いなんだろう。
因みに私は後悔の連続なんだが、振り返って見て、知識を持っていたら経験しなかったかもと思えるような経験をしてきている。
馬鹿だね、間抜けだね。そう言った類の笑い話になりそうな。文明人としては失格かも知れないのだが、このままの私で生きれるのならそれが最高の人生だと思っている。
この間抜けな人間は神様が作った傑作だとも思う時がある。随分儚い作品ではあるが、悠久の時をぽつねんとと咲いているのもいい。
ゴルゴサーティと言う劇画がある。有名な漫画だから大概の人は知ってるだろうと思う。たかが漫画されど漫画。
ゴルゴ13が盲目の暗殺者と対決した時、倒れた主人の側で息を引き取った主人の匂いを嗅いでる犬がいた。無用な殺生はよくないが、優しい殺生もあるんだなぁと思った。
ま、犬を撃ち殺してしまったんだな。
冷酷な人ならほっといたであろう。そこが想像力のある人とない人の別れ道でもある。
たかが犬されど犬。共に生きてきた人を失う悲しみを知っているからゴルゴは冷酷になれるのかもとか思う。
無駄な殺生をするのは人間的に浅い人のすることで、深い悲しみを知ってる人間にはこの世界には死より苦しい生があるのだと分かっている。最も残酷なのは生かさず殺さずの状態に据え置くのだが、犬を殺したゴルゴはもう一つの苦しみも背負ったんだと思う。偽善者はそこまでは考えない。
[命が助かっただけ有り難く思え]なんてことを恩着せがましく言ったりする。追加。これは犬と人間の関わりなんだが、多分、人間同士もこれに似たような関係を築いている人もいるのではないだろうか。と、ここで私は加藤和彦さんを思い出した。
虫けらのように扱われ殺されて行った人のことを考えると自殺は甘えに思える。また、病で死にたくもないのに死んで行く人を思うと命を粗末に扱うのは罪にも思うのだが、あらゆることを考慮し、自殺を選択する人間もいる。
代理のない対象を失ったら誤魔化せなくなる。と言う訳で、人間は日々自分を騙しつつ生きている。それが処世術でもある。誤魔化しの効かない対象を失った人は運が悪いのか、どうかは知らないが、そう言う対象に出会う人には人間としてのユニークさと深みのある魅力を感じたりもする。
和彦和彦さんの死が安田和美さんに関わりがあったかどうかは分からないのだが、彼ならただ生きるだけなら容易いことだったのではなかろうか。あえて自殺するまでも無く、いずれ死んで行くのが定めとも覚悟もあったであろう。
耐えられない苦しみや悲しみを味わうことが出来るのが人間らしいとも言える。しかるに人類がこのような人間だけで構成されていたら滅びたであろうとも推測できる。
極僅かの愚かな人間がいて、程よい刺激で人間は生き長らえていると言う見方も出来る。


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