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時間を忘れ過ごしている時の時間感覚は長いとか短いでは無く多いと言う量的なものに思える。時間は流れると言うが巡るような時間感覚がある。
大地を流れる川では無く、天と地を巡る感覚だ。
物事に関して人の感じ方は面白い。現実の時間はみな一様に変わらないのだが、内的な時間感覚は人それぞれ異なる。
時間に流されるように生きている時に感じる時間は短く感じるのもあるが、時間の動きが縦に移動する時がある。
何となくなんだが、巡る時間感覚は宇宙的な時間感覚にも思える。いつもじゃないけどたまに不思議な時間を感じる。
多分、同じ流れに乗れない寂しさも同時に感じている。
地球での楽しい思い出だけを残し席を譲れたらと思うのだが、流されている時にはしがみついてしまうのかも知れない。
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不景気になると金の流通が滞り血の巡りが悪くなる。無くても生きて行けるなら誰も金使わんだろうが…とか思う訳よ。街を歩きながら懐かしい気持ちがする。車や、洋服そう言うものに夢中になった時期がある。
そう言うものを際限なく追いかけることが出来る人をある意味羨ましくも思うのだが、妬みとは違う。この世界で何にも興味が持てずに生きて行くのは苦痛でしかない。
そう言う心境に至るのは鬱病とも言われるのだが、私は元来鬱病なんだろう。
好きでもないのに好きな振りは出来ないたちだから…
何かを愛したり好きになれるから生きていられる。
生まれたからには生きるのが当たり前とも思わなんだ。何とか人生に自分なりの意味なりを見いだし生きているだけ。
世の中に価値を見いだせないのは苦しいもんだよ。私の価値観は経済を否定している。
単純に人間らしい人を探し歩いた道がある。ゴッホの描いたウジェーヌ、ボックのような人に巡り逢いたい。
ゴッホは人間性に神のような崇高さを見いだしたんだろう。湧き出る泉があるように、溢れる愛もある。
[我々を人間にするもの、我々をユニークにするものは繰り返しのきかないもの、複製の作れないものです]
河合隼雄とベッテルハイムの対談の中から抜粋。
私にとっての旅は観光地を見て回ることでは無かったのだと思う。札幌にいた頃もそうだが、大阪にいた頃も私は人間が何のために生きているのかを教えてくれるような存在を探し歩いていた。
神話は私の苦しい日々の慰めだったのだと思う。希望も持てない日々の中で私は人間にとっての救いが何であるのかを知りたかった。
苦しい日々の中で私は海を見ながら空想に耽っていた。
変わらない現実の中で私の唯一の逃げ場が空想だったのだが、現実の苦しみに撃沈していては生きては行けないのだとも思う。
だが、私があの頃の日々の中で最も悲しかったのは貧しさでは無かったように思う。私は七歳まで父親の姉に預けられていた。その記憶が私の宝になっている。人間としての優しさを備えていたのだとしか言えない。
恐らく私が神と言う概念を持ったきっかけはこの人の影響があったようにも思う。貧しい生活の中でも彼女との時間は豊かに蘇る。
後に私は母親に引き取られ、彼女と過ごした時間より物質的には豊かになったのだがそれは私を満たすことのないものだった。
持って生まれた資質のようなものが人間に備わっているのなら彼女がそうだったのだと思う。
ユニークでは無かったが、めったに会わないような優しさを備えていた。
何も無かったが生きてることが一番楽しかった時間でもある。彼女を思う時私は人間にとっての幸せが何であるのかを感じる。
素朴な人だった。
欲のない温かさを備えていた。
人を思う心を持っていた。
そう言うのを才能とは言わないのだろうが、人間らしさを失った現代は虚しい才能に溢れている。
才能って何だろうね。貧しい生活であれ、私を豊かな気持ちにさせてくれたのは彼女の優しさに思える。
マザーテレサが好きなのも似ているものを感じるからかも知れない。
サライの所に向かいながら私は心の中で虚しさを感じていた。虚しさを誤魔化すために向かっているのだと意識していた。
歩きながら私は神様に慈悲を求めていた。(あなたが私を少しでも愛しているなら…)その後は無言の言葉にもならない祈りに通じていた。まだ私は人間として正気を保っている。だがこれ以上先に行けば保つだけの自信はないように思える。死ぬことより人間らしさを失う恐怖の方が強い。
ひっきりなしに襲われる不整脈の度に私は祈る。壊れたポンコツの心臓がコトッと止まる瞬間を夢みる。
私が辛うじて生き長らえていられるのはポンコツの心臓では無く、目には見えない心の躍動でしかない。だがその心はサライの心としか動かないように思える。サライの心が死ねば私の心も死んでいくのだと言う不安。
何故、出会ったのだろう。逢わなければ私は知らずにすんだのだと言う後悔と人間にしか許されない関わりがあるのだと言う喜びと苦しみを何度も行き来する。愛するなら誰でも構わないのだとも言い聞かせる。
そう、愛するだけなら誰でも構わない。だが、心が鼓動を刻む相手は限られている。それが私に虚無感を与える。
一人では生きていけない弱さを見せつける。一人では動かない心はポンコツの心臓より始末が悪い。
誰も本気で死を考えている時は言わないのだと思う。
自殺を考える時、私は加藤和彦さんを思い出す。安田和美さんを失った後の加藤さんの喪失感。
私の勝手な解釈に過ぎないのかも知れない。私の中の加藤さんと和美さんはアダムとイブのように並んで歩いている。どこに行くと言う訳でもなく、ただ互いに並んで歩ける喜びだけが声のない笑みとして響いてくる。
魂の喜びは声にはならない。外に向かって発せられるのではなく、命の中に沈殿するように思う。
生命を養うための大地を創造するかのような静けさを感じる。喪失感も言葉には出来なかったであろう。
助けて!と叫んでも闇の中に吸い込まれていくだけ。手を伸ばしても空虚の中でユラユラと心もとなく揺れるばかりだ。手に触れるものもなく、落ち行くのは奈落で大地ではない。加藤さんと和美さんが如何なる関係を築いていたかは私には分からない。
朝、起きるともういないのだと何度も思い知らされたかも知れない。
心から寄り添い生きてきた人間にしか分からない喪失感があるのだけは私にも分かる。
加藤さんも失うまではそれを想像は出来なかったのではないだろうか。喪失感と言う絶望。
安易に自殺をするような人間ではなかったと思うが故に苦しみや孤独感が耐え難いものであったのかも知れない。
自殺の報道を聞いた時、私は生きていて欲しかかったと言うような感想はもたなかった。(限界だったんだな)と呟いていた。
苦しみの中でジタバタするような人間なら自殺には至らないだろう。
助けて!と叫ぶ度に救いの手であった存在の不在を知る苦しみが蘇ってくるだけの繰り返しに何時しか疲れきってしまう。
命の限り生きねばと言い聞かせるのだがその後からとめどなく(何のために)と言う問いが返ってくる。
(生きていたらいいことある)この言葉は私が青函連絡船の甲板で見知らぬ人が私に投げかけた言葉だが、あの頃私は自分が自殺を考えて甲板に立ち海をみていた訳ではないが、妙に記憶に残っている。あれから随分時が過ぎ改めてあの日の光景と言葉を思い出す。
悲しいかな。私は(生きていたらいいことある)と言う言葉を否定している。
いいことが欲しくて生きているんじゃないのだと。
茨の道であろうが私の傍らを歩いている人がいるから歩き続けるのだと…
その人を失った未来は今日と言う大地のない空虚でしかない。
何かになりたいなどと思わずとも今日と言う大地が豊かであれば芽吹く命があるのではないだろうか。そう言う意味を込めて今日を愛し生きることが豊かな未来にも繋がっているのだと思わずにはいられない。
青函連絡船で私が聞いた言葉は私の無意識の絶望を伝えていた。私は愛すべき現実を持ってはいなかったのだと振り返り思う。


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