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私を最も苛つかせるもの、それは自信の無さと謙虚さがないことだ。死ぬまで自信なんて持てるものではないのでせめて自分の心にだけは誠実に向き合うしかないのだと思いつつ行動している。その結果間違っていたとしたら私の十八番の出番だ。十八番とは私がかって世の中を生きて行くために使っていた3つの言葉![ごめんなさい、すみません、ありがとう]これ以外の言葉はめったに使うことなく過ごしてきた。今、改めてこの言葉の威力を知る。
まっ私は面倒臭がりなんだ。どうでもいいことを長々と喋る連中の口ふさぎにはもってこいの言葉だと思っている。説明する暇があるなら行動で示したほうが一挙両得でもある。
その結果[誤解をうけるわよ]などと言うお節介も頂くのだが、ほっとけば流れる誤解は時間が解決してくれるものとも思うのだが、そうでないのもある。その辺りの見極めは重要かとは思われる。
未来は予測不可能なんだけど壊したくない現実がある。そこを土台にした未来を築くためにも信頼を得たいのだが、自信の無さと謙虚な姿勢がなきゃ道は切り開かれないのだとも思う。ただ一人の人の信頼を得るにも多大な努力と時間を要するのだが、あまりにも自信のない相手では説得にだけ時間を奪われてしまう。過剰も良くはないが、ある程度のボーダーラインは確保し、そこから謙虚なる姿勢を持ち、取り敢えず行動あるのみ。
私たちは悠久の時間の流れの中で偶然一緒に乗り合わせた運命共同体なのだと言う自覚があれば良いのではなかろうかと。
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人には理想の家庭や人との理想的関わりを求める心理がある。特に私にはその傾向が強いのだろう。どんなに素敵な人であろうが、理想的な関係を築く可能性が見えなかったら未練もへったくれもない。[おまえは男に惚れる女じゃない]そうかも知れない。そんな自己中心的な人と過ごすだけ時間の無駄に思えてしまう。家庭も一つのイメージから生まれてくるのだから、相手が持っているイメージとの距離感がありすぎるのはどちらかの意志を踏みにじることになりかねない。何事も自然体を重んじる。誰かが誰かの犠牲にならない生き方が理想なんだと思う。
私は家庭にも家族にも恵まれず、いろんな人から私には家庭運がないとよく言われた。今、振り返ると確かに血の繋がった関係は私を苦しめるだけでしか無かった。恐らく家族と言うものは理想を基盤にしているのではなく、強固な血の繋がりが全てになっている。脈々と続く伝統的な家庭が良きにつけ悪しきにつけ流れている。
(私の代で断ち切らねば…)と漠然と考えていた。断ち切るものが何であるのかさえ分からずに、断ち切る必要のある何かがあるのだと感じていた、
澱んだ空気が我が家には立ち込める。その匂いを嗅ぐ度に空気感染と言う言葉が浮かぶ。いつの間にか空気のように常識になった日常がある。その中で人は静かに死んで行くのかも知れない。
敢えて空気を読まないのにはそんな心理がある。(こんな空気の中で人は生きては行けない)
死にたい奴は勝手に死ね!死人と関わるなんてのは時間の無駄だ。
勇敢な人とは傷つくことを恐れない人である。
(傷だらけの天使)はそんな人だろうと思う。私は人間もただの石ころからダイヤモンドになることが可能だと考えるし、思いもする。その思想は錬金術に例えることも出来る。
本当の強さとは自分の臆病に打ち勝つことではないだろうか。人を不幸にするのは不安や怯えであって、それは自分の心に飼い慣らされ甘えや狡さの結果に引き起こされる症状に過ぎない。
私も命は惜しいのだが、それ以上に生き様の見苦しいのは嫌いなんだと思う。そう言う状態で生きていても満たされることはないのだと感じているから、多少の傷は名誉の負傷であり、ダイヤモンドのカットでしかない。(傷だらけの天使)にはそんな意味も込められている。
私は昔、傷一つない人を羨ましく思ったことがある。大理石の彫刻のように完璧だった。恐らく大切に育てられたのか環境に恵まれたのか、両方だったのかも知れない。だが、私は今ではそう言う人を見ても感動もしないし、想像力が働くこともない。
その感覚は両手のないビィナス像を想起させる。完全な形としてのビィナス像を見たことがないから出来る想像の喜びがある。
何者をも恐れないしたたかさは人を怯えさせるのかも知れない。
神様と言う概念も姿は見えないのだが、どこからかしら不思議な力が打ち寄せているのだけは感じる。子供の頃に漠然と感じていたのは見えない神様だった。普通の子供なら親に聞いてもらうのだろうが、願いごとや気持ちを聞いてくれるのは見えない存在だっような…信頼すると案外現実になるのかも知れない。
コーデリァ姫のセリフに[お父様、私は心に思っていることは言葉になるより行動になるのです]
多分、無意識に思っていて自分でも気付かないことは自然と行動になっているのだろう。意識された行動より無意識の行動の方が手際よいような気もするのだが心はせっかちだから先走りもする。
ダァーと走って、あー忘れていた!と言いつつ引き返して来ては忘れ物を取りに帰る。ダァーと走って、あっ!道がチョンギレてらぁ!もうちょいと落ち着いて行けば良いものをとも思うが、ちょいと先回りして未来を覗いている気がしないでもない。先走って失敗を繰り返しているのだが、人より多くの道を知っていたりする。[この先に道があるんだけど、途中でチョンギレていて進めないんだわ、でも橋をかけたら渡れそうよ]知恵と知識の合体だなぁ。合体させるには美意識がなきゃ美しいものは出来ん!恋愛も同じかも、相手次第で幸せにもなる。これもバランスだから、自分が見えていないと選べないんだろうなぁ。私は恋愛至上主義ではないが、職場であれ、家庭であれ人間関係が幸せの鍵を握っていると断言できる。なんやかんやあったんだが今日まで生きて来れたのは見えない存在への信頼があったからに他ならない。神様に感謝しよう。私が好きになった人も姿は見えなかったがいつも影から見守っていてくれた。ちょいと間抜けな神様だがあったかい心を持った人。あなたの心に信頼と言う橋をかけたいのです。目には見えないのですが揺るがぬ信頼を築き
たいの。
異なる人間の鼓動が重なるのは思いやりでもあるのだと思う。傍らに温もりを感じてはいても、それが全く異なる鼓動なら、私は湯たんぽを抱え寝る方を選ぶだろう。鼓動が異なっていても美しく楽しい鼓動なら寄り添うのも悪くはない。
音楽を人が聞くように人間の心が奏でる命のリズムがある。生きている、と感じれる鼓動なら構わないのだと思う。
私が育った環境は墓場のように静かだった。そう言う穏やかさならいっそ本当に死んでいる方が楽だったんだろう。
死人は誰とも会話なぞしない。心を通い合わせるための努力もいらない。なんせ全体に溶け込みそこかしこに存在してしまえば区別は付かないのだから、寂しさも感じないだろう。やりきれない寂しさを感じれるのは人間が孤独と言う独特な個性を持っているからに他ならないのだが、個性を持った人間は意外に少ないのかも知れない。
昔、ある人が言っていた言葉が私の心を捉えた。[癖が洗練されて個性になる]なんでも最初は幼いものでしかない。癖で留まっているのは自覚症状がない人だ。単純なことだと思うのだが、自分を自覚するのは大いなる責任が伴う。ただ自分を自覚するだけで他者が見えてくる。逆でもいいのだが、他者と自己は切り離せない関係にある。人間の体に例えたら足が悪くなると頭もボケるらしい。腐ったみかんといっしょだ。
悪い影響を自分が与えているのではなかろうかと言う自問自答は避けられない。生活のリズムが人間を律している。私は自分で自分を律せるほど強くはない。愛する者に嫌われるのが怖いのだと思う。多分、私が愛した人はそんな鼓動を持った人だったのだと思う。
[あなたに嫌われるくらいなら死んでしまいたい] そんな風に思える人しか愛さなかったんだとも思う。お互いがそう思い合えたら一緒に成長も出来るんじゃないかな。


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