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新坂と出逢った時に私が気付いていたならサライには逢わずにすんだのだろうか その類の疑問が最近よく起きる 別れた後に経験した苦しみも味わうことはなかったんだと 新坂と家庭を築いていたら理想の家庭が築けたであろうとも思える あそこで私が踏みとどまることを許されなかったのは何故なんだろう 誰よりも親近感を持ち新坂と私は歩いていた 無意識と言う暗黒から私は逃げられない気がする それは私に予測不可能な世界へと絶えず導くだけだ 私と言う人間の無力さと人間の力の及ばない世界への通路のようにさえ思える 私には私の意志と言うものがあってもそれは何か得体の知れないものに打ち負かされて行くだけでしかない 時々、私は思うんだ (私はもう疲れました 他の人に委ねて下さい)と 多分、私が死んでも死なない存在がいるんじゃないかな 私は道具に過ぎない 何の為の道具かは知らないのだが、そう言う感覚は幼い頃からつきまとっていたように思う 最近、あの不思議な囁きが全く聞こえなくなった
(あ~多分、役立たずになって捨てられたんだ)と解釈したら 自由になったと言うより寂しくなるもんなんだな
あの囁きが全く聞こえなくなったのはサライに逢ってからなんだが、最後に聞いたのは(帰っておいで…)だった それ以来ぱったり聞こえない 薄気味悪いくらい沈黙を通している こう言う不思議な現象に対して誰が真剣に関わってくれるかって言ったら、せいぜい精神科の医者くらいのもんだろうが、彼らはただ否定し、現実に私を適応させる為にだけ協力するのみで解決には至らない気がする 新坂、サライと新坂の違いがあるんだ 新坂は私を見ていたのは知ってる でもそれは目と目が合うと言う感覚ではなかった サライと私が目を合わせた瞬間は今でも鮮明に覚えている 辺りは騒音でいっぱいだったし、たくさんの人がいた、にも関わらず一瞬全てが消えてサライと私だけがその空間にいるようだった その時の感覚は現実では説明出来ないし、それが何を意味していたのかさえ分からないんだ ただ、生まれて初めて見た心の光景としか言えない 群集の中でサライと私がセックスをしているようで恥ずかしくなり、私は目を逸らした そう言う感覚は初めて感じた まるで神
話の世界に舞い込んだ気分だった サライも信じてないんじゃないかな あの瞬間を…そう容易く信じられるような光景では無かったのだけは確かだ そうだね、新坂に関して思い出すのは、優しかったに尽きるんだが、サライはそう言う類の言葉では説明出来ないから、私もサライも疑って互いに疑心暗鬼に陥っているように思う
剣と鞘の関係は偶然ではないんだ それは予め対として存在している これはロミオとジュリエットの話に出てくるんだが、その意味がサライと逢ってから納得できてしまった 人間にもそう言う関係が実際あるのだと思った サライの存在は私にとって恐怖でもあるんだ サライがいれば私は何もいらない ひっくり返し考えると何も無くなるになる 要するに私の生きてる意味はナンセンスになるってことだ
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うん、私、ジュリエットの気持ちもロミオの気持ちも痛いほど分かる 世界がひっくり返るくらいの出来事がある日起きる 何故、ロミオでなければならなかったんでしょうね 他にも人間は大勢いるのに、何が違うのでしょうね 分析や理性では整理出来ないことが起きると頭も心も混乱してしまう 今までただ漠然と生きてきたこと自体が不思議に思えてくる ロミオのいない世界は最早何の意味もないように思えたのでしょう そう言うのを人は一途な愛と呼ぶのだが、それとは違う気がする ロミオとジュリエットは剣と鞘のように切り離して存在は出来ないように創られた ロミオにとってジュリエットは自己の存在理由だったんだと思う 人間は悲しい 意味のない日々には耐えられない 私の今日までの日々を振り返ると無意識のうちに空虚であがいていたのだと知った サライ、君がいたら私は生きてる意味など考えず日々に感謝できる もし、私が君を失ったらいくら生きる意味を見いだそうとしても見えるのは永久に続く暗黒でしかないと容易に想像出来る 煌びやかな欲
望が今では虚飾に満ちたまやかしだったのだと感じている ふざけた言い方をすれば、経済は満たされない欲望が生み出した幻想かも知れない でもサライ、やっぱりロミオとジュリエットは悲劇だ 互いに無くては存在出来ないって悲しいものだ まるで依存しあうことでしか互いが存続出来ないのは恐怖に近い 何故、私は君にだけ感じるものがあるのかが明確には分かってはいないのだ もし、それが分かったなら代わりを探せるかも知れない
不完全であると言う認識は幼い頃から私をコンプレックスに陥らせた 現実的には容姿の問題が極めて強かった それは他者の目からも明らかに思える お世辞にも美人とは言い難いのだが、私は男には事欠かなかった 私の周りにはいつも男がいた 彼らは私を女として育ててくれた それは男にとっての理想の女である 男の中に潜むもう一つの性を私に投影していた この世界が影と光によって輪郭を現すように男は女と言う影によって自分の男性としての側面を責任を持って担うことで半分を生きている あらゆる男と付き合ってきて私が感じたことがある 基本的には男は動物学的に言って何ら変わらないのだが、男性としての機能が強ければ強いほど女性機能も極めて高い位置を示している あたかも深さと広さの違いを示すように両者は交錯し、互いに相容れないようにも思える だがそれは現実を生きるための大切な機能なんだ そのことを認めない限り男性は女性を、女性は男性を肯定出来ないであろう 自分が生きれなかったもう一つの不思議な性に対する態度は、時には敵意とし
て現れてくるであろうし、自分の男性としての価値を貶める権威として表出してくる これらのことを分かった上で男性と言う生物を見るなら、女性はさも男性の下部のように影となり従うことで男性をコントロールし、意のままに操ることが可能になる どちらが優位であるかは問題ではない 深さと広さの違いであって、共に世界を築いていく大切な要素であることには変わりない その根底にあるのは等身大の自己へと至るための手段にも思える 自己実現と言う言葉の意味は本来、その人となりが生まれつき備わったものへの帰結である 私はそれを故郷への憧れとして思う たとえその資質が現実にそぐわず生物として滅びるしか道がないとしてもだ 私と言う人間に与えられた自己実現へと至るために与えられた貴重な時間に思える しかし、大概の人は自己実現への道の半ばで力尽きるか、そのためのエネルギーを他のことに費やし消耗してしまうだろう それ故、自己実現へと歩む者に要求されるのは強靭な肉体と若しくは精神力であろう 200万年の時空を飛び出し現在へと至るには相当強かな生
命力が必要であるのは言うまでもない 私は彼らのことを特異体質、若しくは神の子とも呼ぶ しかして、神の子としてこの世界に生まれたからと言って神が彼らを養ってはくれない 神が彼らに与えたのはその資質のみである 選ばれし者としての傲慢な性格と孤独とを彼らは併せ持つ 選ばれなかった者からの支持無くしては彼らの存在は無に等しいからである 神が人間を創造したように彼らもまた不思議な形式でこの世界を覆す力を有している それ故彼らの行動や意図は秘密のベールにつつまれているかのように不気味でさえある 彼らは人間の存在理由の意味を付与するであろう その時代に最も欠けたものを具現化するために彼らにはある特性が備わっている それは普遍性の現代版として流行を超え、人間に新しい価値観をもたらすものでもある
モジリアニィが死んだ後、彼の恋人は自殺した 加藤和彦さんも死んだ ある人は孤独な二人から一人を引くと人間ではなくなると呟く
神経症とは自らの意味を失った魂の苦悩である 私は物質や経済には全く興味がない それらが魂の願いをガラクタに変えて騙しているような気がするからだ 人間の願いは愛したい、愛されたいに尽きるであろう だが、人間が精神的に成長しない限り人間として愛し合うと言う関係は成立はしないのだと思う 私が知る限り殆どの人が人間にまで到達していないのだと思われる 昔、私はある人の子供だった時期がある 見た目は恋人同士でしかなかったのだが、彼と私の関係は保護者と子供の関係だったのだと感じる 男の心理に父性原理があるのだが、彼は私と言う子供がいて心のバランスをとっていたのだと思う 生きる意味は人それぞれだが、私は彼と別れた後、喫茶店で妙な空想をしていた
喫茶店の片隅で死んでる私を 現実的な見方をすれば突然死として話は終わりなんだが、その死には違う意味があった 私が死んだ時刻は本来なら彼が死ぬはずだった 愛する者を失った後の人生は辛い 私にはそれに耐えるだけの強さはないことを知っていたのかも知れない
(あなたがいなくなったら私には生きる意味がないのです)人が生きている意味は愛の中にある
さすらい続けた私の魂が探し求めていたものは人間にとっての至福の追求だったように思う
[誰からも愛されなくなると寂しいものよ]ボソッと私は独り言のように職員に呟いた 子供のように職員に呼びかけていた姿が痛ましくて気付いて欲しかった 人間は死ぬまで愛されたいと願っているんだ、と断言出来る マザーテレサはそれを誰よりも知っていた 私は子供の時期に誰からも愛されずに育ったのだが、性格が脳天気なもんだから、勝手に物語りを作って自分を慰めて生きてきた節がある (神様は私を愛するが故に人間の手に触れられない地に私をおかれたのだ)と言うような類の解釈であった 半ば当たっているのかも知れない 取りあえず人間に汚染される危険は避けられたのだから
話が横路にちょいとそれるが、人は純粋に愛してくれる人を求める 自分が薄汚れていようがお構いなしにだ 多分、愛の中には様々な要素があるんだと思う 憐れみも愛だし、憎しみだってそうだ 私には困った性癖がある その性癖は幼少期に培われたものに思える 誰からも愛されなくなった人をほっておけないと言うようなものだ 心の中で(愛されたい…)と呟く声が私の胸を締め付ける 貧しい人はみなイエスキリストと言っていたマザーの言葉の意味と同じように(愛されたい…)と呟く人は私自身なんだと思う [あなた方が私にしたことはイエスキリストにしたことと同じである]これはイエスとマザーが一体化した状態を指している 異なる次元において愛する者の受難を我が身に引き受けると言うことは同じ苦しみを通して同化する感覚だと思う 人間は個体として生まれるのだが、常に誰かと一体化したいと願っている それが恋愛の本質でもある マザーはイエスと一体化してしまっているから恋愛では無く、愛なんだろうね


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