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いつまでも少年のように無色透明な男がいる それは新坂でもあり、石川さんでもある サライもそうだね 現実を逞しく生きながらも自分らしいと言うか、馬鹿らしいような夢を手放さない理想主義であり、ある意味では美意識の持ち主でもある 現実は現実で認識しているのだが、その現実に飲み込まれることも無く巧みに狸の如く、現実を欺きつつ、夢を胸に抱いている それが現実になろうが夢に終わろうが彼らには関係ないのだと思う 片や夢だけを見て、現実を全く見ない輩もいる 両方がぶつかり凌ぎを削るからいいんだ いわば現実と自己との闘いなんだと思う 現実と言う巨大な壁にちっぽけな人間が闘いを挑むから、いいんじゃない ここまで書いていたらサライの可愛い姿が脳裏をよぎった [僕が守ってあげる] 小さな子供が巨大な現実の前に立ってる姿は無鉄砲にも思えた 男の闘争本能なんだろうね 馬鹿な男は無闇やたらに闘争本能を剥き出しにするのだが、賢い男は自分が守りたいものの為に闘争本能を発揮する 軸に愛がない闘争本能はヒットラーと言う化け
物しか生み出さない
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馬鹿バカしい人生より馬鹿バカしい一時が嬉しい 亜久悠の歌詞が口をついて出る 桑田佳祐の歌詞がよぎる 私が男だったらと思う 片っ端から女を抱き、快楽に身を委ね、エネルギーの全てを浪費するだろう 英雄色を好むとも言う
亜久悠の歌詞の意味はまた違う 虚しい人生を生きるのに疲れた男の気持ちなんだと思う 一夜でいいから忘れたい、一瞬でいいから我を忘れたいと願う 女を抱きながら男は反応を楽しむ時もある その時の相手に寄って変わるのだが、虚しさから女を抱く時の男の心理は快楽に酔いしれたいに尽きる 馬鹿バカしい人生よりその方がまだ救われるからだ 生きてる限りエネルギーは無意識から生まれてくる それをせき止めることは死をもってしか出来ない 止めどなく溢れくるエネルギーに辟易しながら、ヤケクソの気分になってくる 使い道のないエネルギーをひたすら快楽に使った後に来るけだるさのようなものが心地よい
女はまだベッドの中で眠っている その姿を白々しい思いで眺めている 男と女の間に横たわる溝は埋められない 男に残されたのは余韻ではない 一瞬の夢を見るように現実から逃げたいと言う心理なんだと思う 私が梅沢富男の女形が好きな理由もそこにある 梅沢富男は男の心理を理解した上で女形を演じるから妖艶な女を演じれる いわば、彼は両方の性を理解しているとも言える 男は現実に縛られるのを嫌う つかの間だけでも夢を見せてくれる女を求めて、酒場のカウンターで酒を飲む そう言う女が昔はいた 男の馬鹿らしいロマンに一緒に付き合ってくれるような女がいた
男も変わった 現実的になり、馬鹿らしい夢より馬鹿バカしい人生に憂き身をやつすようになった 女は男の夢が描いた理想なんだと思う その女は男の欠けた側面を補うからいい女に映る 女も同じだ 互いに自分の中に眠るもう一人の憧れに過ぎない これは自己投影とは異なって太古から受け継がれた意識に近い
新坂、やはりあなたは間違えていた 自分に自信が持てない人間の心が分かってはいなかったんだと思う 別れた後、亀沢の部屋の前を通った時、聞いてしまった[卒業したら結婚するつもりだった]本当に私が好きだったんだと言うのに気付いたのは最近になってからなんだよ
自信のない人間の心は不安でいっぱいなんだ そう言う不安を理解し、取り除いてあげるべきだったんじゃないかな
男と言う生物は単純だね 体を許したから愛されてるんだと勘違いしてるのかな セックスはおまけみたいなものでしかない 新坂を愛していた、それは間違いではないのだが、私には愛されるような要素が見当たらなかった 新坂を疑ってたんじゃ無く、私自身が自分に自信を持てなかったからなんだ そう言うのは問題では無かったんだろうが、不安な気持ちを抱えていては信頼関係は築けないのだと思う 精神科医に来る患者さんも似たようなものだと思うよ 不安の程度の差はあっても根本は同じだ 自信のない相手を説得するのは難しいとは思う 思い込みはなかなか抜けない 相手が不安を感じているなら、その理由を聞くべきだと思う まっ!あの頃の私の不安は言葉で説明できるようなものではなかったから、説明はできなかったんだろうが せめて、新坂が[卒業したら結婚しよう]とでも言ってくれていたら少しは安心したかも知れない 新坂は軽率な言葉を言わないところが魅力だったんだが、言葉も大事じゃないかな、と思うこの頃だ
孤独な道を歩いてきた 命の欲求が私を導いてきた 生きたいと願う幼子がいた サライ、私は君に会ってから生きてることの意味が次第に見えてきた 君がこの世界にいるからなんだ [長生きには興味ない]ぶっきらぼうに半ば投げやりな私の言葉に[俺もだ!]豪速球で返ってきた 多分ね、サライと私は似たタイプなんだ 世間からちやほやされるより自分が心から愛する人さえいれば他にはいらないんだと思う そう言う人に出会えなかった人が権力を求めるのかも知れない サライ、君のいない世界は無意味で無気力になる あんなに生きていたいとだけ願っていた私はもういない サライ、人間の全てが心から愛する人に巡り会えたなら世界は平和になる 心から愛される喜びや、無言で行き交う思いやりに満ちた生活が人間を正しい道へと導いてくれる サライ、神様がいるなら私は祈るだろう [何もいりません、サライと私が永久に共にあるなら] 私は元来あまり多くを望む人間では無かった
無意識の暗黒には人間にしか許されない愛が眠っている 心がある ただ一人の人しか愛せない孤独な心がある その心はサライとしか会話をしない
[俺が受け入れたのはおまえだけだ]
意味が分からず聞き流してしまった、と言うより、私はあまり人が言ってる意味を個性と関連したものとは思ってなかった この言葉と発した人を比較してみて初めて意味が見える 乞食のような人は誰でも受け入れざるを得ないんだ だって誰からも愛されないんだから、ちょっとでも愛想を振りまくと犬のように尻尾を振り喜ぶもんだ
強い人間は自分の中に価値をもち、弱い人間は他人の中に価値を見いだす このどちらにも当てはまらないのが自意識過剰なタイプ 自己満足は大いに結構だ 嫌いではない 衣食住足りて礼節を知る これはあくまで物質に対しての態度であって、自分と言う人間に満足しちゃあかん 生きてる限り無限に成長したいと密かな野望を捨てたなら、獣と何ら変わらなくなると思う 先の言葉を違う視点から考えてみると、私にしか愛されなかったのだとの解釈も可能になる 私は物好きとも言われている 随分、昔に私の思いの中にあった意識がある 人が嫌がる仕事こそが重要なのだと言った類の考えだ 貧困から裕福への移行は何ら精神的な苦痛は伴わないのだが、逆はしんどい 今、北陸震災で賑やかな日本だが、平和ボケした人間に自然が与えた試練なのだと解釈すれば精神的にも落ち着くのではなかろうか あらゆる文明は滅んでは再生を繰り返してきた これは人間が滅ぶまで馬鹿になった結果、滅ぶしか生き残れる可能性がなくなったとは解釈しないんだね
聖書にあるノアの箱船は愚かな人間が地上に溢れて始末に負えなくなり、[いっぺん死になはれ]でもある 因みに聖書に書かれていることは人間に根本的なことを教えているのだが、相変わらず使い古された言語と表現に頼っているが故に役立たずにされてしまっている
普遍的なものは変幻自在性を備えているから普遍なんである 勘違い野郎は何時の時代にも存在する だが、これも限度がある 度を超えて繁殖すると人類の危機となる あらゆる人間は似たような構造を持っているのだが、まさに衣食住足りて礼節を知るであり、度を超えると滅びへの坂を転がり落ちるしかない
勘違い野郎は方向オンチでもある 何故、方向オンチになるかと言えば、自分がいる場所が把握出来ていないが所以であるんだ 先に述べた勘違い野郎の発言はまさにその典型的である 私が受け入れを拒んだ場合彼は飢え死にしか残されてはいないって訳かよ と、言う発想まで至らないんだろうね 方向オンチより始末に負えない野郎もいるんだ


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