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仕事場で嫌なことがあっても寛げる場所と安らげる人がいれば凌げるものなんだ ここに引っ越してから台所に立つのが楽しみになっている サライの存在も大きく影響している サライに逢わなかったら暗い人生を諦めて嘘っぱちな笑顔で誤魔化し続けていたのかも知れない どんな所にも下品な人間はいる 口先だけの奇麗事を並べる連中を相手にしなくなった 神様じゃないが、まともな人間なら感じてくれるだろう サライが私を探しだしたように 新坂が私を愛したように 私を愛してくれた多くの人が勇気をくれる
仕事が終わると馬鹿げた舞台を降りるように家路を急ぐ 今の生活が私にとって大切だから我慢ではないが、下品な人間を覚めた目で眺めていられる 舞台を降り我に帰ると悪魔のような薄ら笑いが浮かぶ 騙しても構わない人間がいる 伊達に哲学やら心理学をやってきた訳じゃないんだ!と心の中で嘲る私がいる 天使の微笑みの代わりに悪魔の薄ら笑いが口元に浮かぶ 徹底的に舞台として楽しんでやる 年季が入った芝居を見抜けるぐらいなら馬鹿ではないだろう まともに付き合っていたら身が持たない
唯一の楽しみのタバコも仕事場では一切吸わない 最高の役者ならそのくらい我慢出来て当たり前なんだ 馬鹿げた現実は私の舞台と思えば如何なる役であろうが完璧に演じ抜いてやろうじゃないか
テレビは買わなくて正解だった 私にとってこの現実は舞台に過ぎないのだと割り切れたのはサライの存在と安らげる場所があるからなんだと思う
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広くはありません 何度も死にたいと神様に懇願してござる 自分が幸せなら自然と人の幸せも願うかと思いきや欲望がどんどこ膨らんで行き、無限の欲望の奈落で喘いでいる者にとって人の幸せなど願う暇はないのよ だから思うのよね 物に対する執着は程ほどにしとこうと 衣食住足りて礼節を知るなんだが、欲望に礼節などありはしない 貧欲だけだ 何でも過剰が良くない 人間の本質的な欲求の抑圧は怒りを起こさせるものでもある そんな心境では人の幸せなど願う心境にはなれないだろうから、日頃から欲求は控えめに抑えた生活を心がけている [塩と米があれば生きれる]あくまで例えの話なんだが 多くを望めば欲求不満は避けられなくなる
今、自分が本当に望んでいた生活をしているように思う 後は米と塩だなあ これさえ奪われたら多分人様の幸せなど願う余裕もなくなるんだろうなぁ 私心は広くはありません ただ欲求が控えめなだけです 米と塩を奪われたら怒りに燃えたりするかも… 我慢にも限度があります
引っ越してから、掃除機ない テレビない 炊飯器ない ないないづくしの生活を楽しんでいる 札幌にいた頃、何故か電化製品のセールスマンが訪ねて来た あの頃に言った言葉が今頃になって実感[私、物いらないの] 質素極まりない生活が好きだったみたい 貧乏とも言うが よくよく考えたら要らない物だらけだ 最近は服も買わない [これだけありゃ死ぬまで持つわいな]だ 多分、買い物衝動って欲求不満と関係しているんだと思う 結婚してから一時期やたら買い物しまくっていた時期がある あの心理を分析すると欲求不満の何者でもない 欲求不満の源だった男と別れたら元の私に帰ったみたいでスッキリした気分になり、あ~随分要らないもので自分の気持ちをなだめていたんだと思うよ 人間関係が満たされないと消費に走るのかもね 最終的には人間関係が一番楽しくもあり、苦しくもあり、面倒くさくもありなんだろうな その一番面倒くさい人間関係のるつぼに私ははまって抜けだせなくなっている それだけ魅力的な人間だか
らこそなんだが
人間は様々だ 今までの人生を振り返って見て、私がいい男だったなぁと感じるのは一緒にいろんな経験をした男なんだね 男の側から見ても同じなんじゃない 誰だって退屈な人は嫌いだ 退屈な人生を生きてるから消費に精を出してんのかも 創造が出来ないと消費に回るしかなくなるんだろうなぁ
嫌な事があっても表に出さない性分だったのだと思う そのくせ後になって(あー言えば良かった、こう言えば良かった)なんてことをあれこれ考えて随分悔しい思いをしたのだが私がしんどい分周りは平和であったりする 新坂といた時だけかな そう言う悔しい気持ちにならなかったのは 新坂は外観に似合わず繊細で他人に対する思いやりがあったのだと思う 今ではちょっと照れくさくもある話だが、セックスの最中に[重くない?]と聞くような人だから、相当細やかな神経を持っていたんだろうな 他にも新坂の人柄を偲ばせるエピソードがたくさんある 人混みが嫌いで大勢の人がいる場所が苦手な私に付き合ってバトミントンしていた時の新坂は私の余りにも負けず嫌いな性格さえ笑い顔で[まんがは意固地だな]で終わり 話がしっつこないんだね 妙にアッサリしてるんだけど言葉の端々に思いやりがいっぱい感じられて あの頃新坂はまだ21歳だったが、今しみじみ思い出すと品のある人間だったんだと思う
私が下品だと感じる人間は思いやりがない 自己中心的で、相手の気持ちなどお構いなしだ 自分の気持ちを上手く現せない私の代わりに新坂が代弁とまでは行かなくともコントロールしてくれていたんじゃないかな
ちょっと話がよそに飛ぶが、違う彼とストリップ小屋に行ったことがある どっちかと言えば新坂に少し似たようなタイプだったと思う 確か入場料金が千円で一番前の席で見ていたら、奴が急に[手を叩け!]って吠えたんだ 訳も分からず手を叩いたらストリップ嬢が私の前まで来て[あんたは自分のを見なさい]に唖然としたっけ
言われて見りゃそうだよね しかし、こいつも変わった野郎だったな ストリップ小屋に連れて行くくらいだから私を女とは認識してないんだとタカをくくってたら、天王寺の陸橋の上でプロポーズされた 奴には彼女がいたから結婚なんて話題にもならないと思っていた ストリップ小屋で唖然となり陸橋で唖然となり、[好きな人がいるから…]と断ったら[会わせろ]で唖然となった でも本気だったのかも 取りあえず付き合っていた男のアパートまで行き[会う?]と聞いたら[いや、いい] 往生際がいい男だったなぁ 新坂といい、こいつといい確かに私はブスのわりに男運は良かったみたい
ただ私に男を見る目がなかっただけなんだろう 二人ともあまり私を女として意識してなかったんじゃないかな それが私には居心地良かったんだろうなあ 新坂は私を子供のように育ててくれた部分があるのだが、唖然の彼は人生の裏街道を連れ歩いてくれた 何となくホモの気持ちが分かるようなエピソードでもある 女だから好きになるんじゃないってことが 先に好きがあって[あら!男なのね]なんだろうなあ
嫌な予感も的中してしまう勘の鋭さにあっぱれ!ではあるが出来たら気のせいだったのね、ですんでくれるに越したことはない
感じている心がある 良いことも悪いこともひっくるめて感じる心があればこそ生きてる喜びもあるのだと分かってはいても辛い…
苦労やら多忙は感じる力を鈍感にしてくれているのかも知れない 闇雲に動き回っていた頃、無意識に心をシャットアウトしていたのだと思う
独り暮らしを始めてから妙に心が穏やかでこのまま死んでも悔いはないなぁなどと感じている 多分、本来の私に帰ってきたから思える心境なんだろう ケアーワーカーの仕事をしていると大抵の人が穏やかな最後を迎えたいと願っているのが分かる ざわついた心はかえって死を恐れるのかも知れない
穏やかな心も人から人へと感染する 以前に勤めていた病院で私は山名さんと言う患者さんに会った 見るからに先は短いのだと察せられて私は成す術も無く山名さんの目を静かに見つめてから胸の前で両手を組んでいた 言葉も無く行き交う思いがある 言葉にならない思いこそが行き交うのかも知れない 心は言葉を発さない それだけに真実の願いが込められているのかも知れない


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