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携帯から書く日々ブログ
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てめぇだけが苦しい思いしてんじゃないよ。何度も本気だと言ったって信じないてめぇが悪いんだよ。バカたれが!くそ腹立つ。
勝手に片思いしてろ!死ぬまで。
何でこうなるんかな。私相当信用されてないか、若しくはてめぇ自分に自信がないんでないの。
喧嘩の後、郷ひろみの[逢いたくて仕方ない]が流れていた。で、てめぇだなぁと分かったんだけど。自分で墓穴ほっておいて何言ってんだか。ややこしい奴じゃのう。
自分じゃ何も言えんくせに、人の歌に気持ち乗せ届けるな。まっ分かるけどな。てめぇの不安感は。私が脳天気な人間だから普通の常識が通用しないからね。
常識はないが良識なら持ち合わせているんだなぁ。
お互い、そう言うところに惚れたんだと私は知ってるが、てめぇが知らないんだよな。自分を。
人を見る目はあるのに自分を見てないのもお互い様だね。
だから、私には君が必要なんだ。
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昨夜サライに会いました。サライからは人間の小さな愛について学ばせていただきました。感情から発する愛なのでしょう。純粋な子です。私もサライが好きですが、サライが思っているようなものではないと思いました。愛されているのだと言う確証が欲しいのだと。
私は[好き嫌いに理由なんてない]としか答えられませんでした。実際そうなのです。ただ、存在そのものが愛おしいのですから。
それでは物足りないのが可愛いのですが、最後は呆れるしかなかった。
勝手にしろ!の気分で別れて、なんだかスッキリした。
何時までも駄々っ子の子守をしているのにいささか疲れた。でも、頭のいい子だからすぐ気付くだろうと言う安心感もあるのです。
思い通りにならないとぐずるのは子供の癖のようなものかも知れませんね。
サライには暫く会わないことにしました。何故なら、サライとは長く付き合いたいのです。
サライが自分の気持ちに正直になるまでほっといた方があの子にはいいと思います。
あー私は結局、神様にしか話が出来ないのですね。心を許せるのは神様しかいないのですね。
悩みやらがあっても結局、神様に相談しているようです。
サライは神様が連れて来た子ですよね。なんだか、私の中の小さな分身のように愛おしいのです。
たまには、くそガキが!と腹も立つのですが我が子同様憎めないものを持っているのです。
サライに少しお灸を据えて頂くと助かるのですが。
あの嘘つきサライに。あのバカたれが!サライおめぇいい加減にせんと本当に怒るよ。私を怒らせたら怖いの、おめぇ知らんな。
アホくさ!寝るわ。
社会的成功を収めた君が私の前では少年のように見えた。
不思議だった。
君ともあろう男が私如きの者に懇願する様子は理解出来なかった。
からかわれているとしか思えなかった。数日後に電話を入れると生憎君は出先だと告げられた。
名前だけを受け付けの女性に告げた。
すぐさま君からの電話が入った。
[良ければ飲みにでも行きませんか]すかさず君は[今日ですか?]あの時の君の声は君らしくはなかった。
焦りのようなものを感じた。社会の頂点を極めても満たされないものがある。
そんな印象を受けたのは君と飲みに行った時だ。
私は君に教えてもらった気がする。自分の心に正直に生きる事はなんら恥ずべきものではないと。
心を守り通した人として今なお尊敬を持ち君を思い出す。人としてあるべき姿を君に見たように思う。
私も本音を語れる人はいない。君の奥方から私は狐で君は狸だと言われた時は、なんだ同類かと安心した。
先日似たような人に会い、君も狸だねと言ったら怒っていた。君と私の会話は世間では通用しない。誉め言葉として、辛辣な物言いをする。言わんとしている内容の解釈が全く異なる。
恐らく彼はまだ自分が狸であることには気がついてはいないのだ。私の言葉を蔑みとしか思ってないのだろう。
一応謝っておいたが、いずれ誤解も解ける日がくるだろう。言葉の意味の解釈は人に寄り異なる。
私と君は互いに了解しあっていたのだと思う。
私が自分の心に正直になれなかっただけで、とんだすれ違いをしてしまったが、学ぶべきことはあった。
いくら経験を積んでも人は愛する者の前では恐れおののくのかも知れない。
私が神を恐れるのは逆鱗にふれるからではない。見捨てられることを恐れる。
それと似た感情が恋にもあるのかも知れない。
私にとって神とは如何なる存在なのか定かではない。少なくとも教会にいるように人から崇められるような存在ではないことだけは確かだ。人間としてこれだけは信じられると言うような漠然とした存在だ。
自分を信じれる人を私は愛する。それが君だった。
自分を見限った人は嫌いだ。私なんかーそう言うセリフを謙遜した風に使うが、私は嫌いだ。謙虚な人は黙って努力する。そう言う人は素敵だ。自分に足りないものを知ってるんだ。
愛する者の前で不安になるのも同じ感覚なんだろう。
自分は君に相応しくないのだと勝手に思い込んでいる。ただ、ひたむきに生きている人が好きであって、何者かなんてどうでもいいのかも知れない。
私も君に対してそんな感情を持った。相応しくないと。
その事を君の奥方に言った。[大丈夫よ、あなたの旦那さんは私を女とは見てないから]と。奥方から意外な言葉が返って来た。
[あの人は女に惚れる人じゃない、才能に惚れる人だから]その意味が分かる。私も才能に惚れて付き合っていたのだが、男として見ていない私に不信感をもったようだ。
世の中には恋愛でしか人と人を結びつける術はないのかと残念に思う。
思いやりや優しさは人との絆とはなり得ないのか。そこから出発したなら私は恋愛を超えた関係が築けるのではないかと思う。
残念でならない。楽しい人に会って喜んでいたのだが[男と女の友情は信じない]と言われてしまった。しかし、君と私には確かに存在した。私を一人の人間として敬意を払ってくれました。
だから私は今でも信じています。全ての者達が友情を持てるのだと。特別な感情ではなく、ごく自然にです。
あなた自身の思いやりのある優しさから生まれるものが未来の空間を領する日が来たら、真の豊さが何であるかを知るだろう。
遠い昔のがさつな生活を振り返って見ると良い。
そこに再びあなた自身が帰ろうとするだろか。
小川のせせらぎに似て、優しき音色持ち流れるものに勝るものがあろうとは思わないだろう。
これは私が今から14年前に書いてあった言葉です。
今、私はこの言葉の意味を感覚として感じています。これを書いた時は漠然とした憧れの生活を夢見ていただけで、そのような生活が具体的にどう言う状況を言うのかは分からず、ボンヤリとした蜃気楼のように私の心をかすめて行った言葉。私の無意識は私以上に真理を知っていた。私も愚かな人間同様に物質的な豊かさや名誉と言う下らないものを追いかけ、気が付いたら私は死ぬ寸前まで達していたのです。
もう走れない!
限界だった。走っても走っても安らぐ事のない日々に精神的にも肉体的にも憔悴しきっていた。
私は何の為に生きているんだ。神よ!教えて下さい。
空虚な世界で私はあなたに何度も尋ねました。
思い切り死なせて下さいとも願いました。涙が溢れて止まりませんでした。
悲しいからではありません。本当の人間の在り方と喜びに気付き自らの愚かさに目覚めたからです。
そこに今日までの私が歩き続けた道を見たのです。
私が振り返り見る景色にはあなたが愛した子供たちがいます。夢ではないのです。あなたの憧れは人々が求め止まない生活なのです。
愛し合いなさい。親しみなさい。笑いなさい。喜びなさい。人々を結びつける絆の意味を知らせていたのですね。
何時も笑顔でいなさい。幼い日にあなたは私に言いました。たった一つの約束だけを守って来ました。最後まで手離さないと決めた宝です。私の笑顔が曇ればあなたは悲しむのでしょう。手放さねばならないのらこの命も共に手放したいのです。
力尽きていくのです。けれど、まだ明日があります。希望としての明日があります。最後まで私があなたとの約束を守れるよう見守っていて下さい。
今日の涙が恵みの雨になりますように。
社会的成功を収めた君が私の前では少年のように見えた。
不思議だった。
君ともあろう男が私如きの者に懇願する様子は理解出来なかった。
からかわれているとしか思えなかった。数日後に電話を入れると生憎君は出先だと告げられた。
名前だけを受け付けの女性に告げた。
すぐさま君からの電話が入った。
[良ければ飲みにでも行きませんか]すかさず君は[今日ですか?]あの時の君の声は君らしくはなかった。
焦りのようなものを感じた。社会の頂点を極めても満たされないものがある。
そんな印象を受けたのは君と飲みに行った時だ。
私は君に教えてもらった気がする。自分の心に正直に生きる事はなんら恥ずべきものではないと。
心を守り通した人として今なお尊敬を持ち君を思い出す。人としてあるべき姿を君に見たように思う。
私も本音を語れる人はいない。君の奥方から私は狐で君は狸だと言われた時は、なんだ同類かと安心した。
先日似たような人に会い、君も狸だねと言ったら怒っていた。君と私の会話は世間では通用しない。誉め言葉として、辛辣な物言いをする。言わんとしている内容の解釈が全く異なる。
恐らく彼はまだ自分が狸であることには気がついてはいないのだ。私の言葉を蔑みとしか思ってないのだろう。
一応謝っておいたが、いずれ誤解も解ける日がくるだろう。言葉の意味の解釈は人に寄り異なる。
私と君は互いに了解しあっていたのだと思う。
私が自分の心に正直になれなかっただけで、とんだすれ違いをしてしまったが、学ぶべきことはあった。
いくら経験を積んでも人は愛する者の前では恐れおののくのかも知れない。
私が神を恐れるのは逆鱗にふれるからではない。見捨てられることを恐れる。
それと似た感情が恋にもあるのかも知れない。
私にとって神とは如何なる存在なのか定かではない。少なくとも教会にいるように人から崇められるような存在ではないことだけは確かだ。人間としてこれだけは信じられると言うような漠然とした存在だ。
自分を信じれる人を私は愛する。それが君だった。
自分を見限った人は嫌いだ。私なんかーそう言うセリフを謙遜した風に使うが、私は嫌いだ。謙虚な人は黙って努力する。そう言う人は素敵だ。自分に足りないものを知ってるんだ。
愛する者の前で不安になるのも同じ感覚なんだろう。
自分は君に相応しくないのだと勝手に思い込んでいる。ただ、ひたむきに生きている人が好きであって、何者かなんてどうでもいいのかも知れない。
私も君に対してそんな感情を持った。相応しくないと。
その事を君の奥方に言った。[大丈夫よ、あなたの旦那さんは私を女とは見てないから]と。奥方から意外な言葉が返って来た。
[あの人は女に惚れる人じゃない、才能に惚れる人だから]その意味が分かる。私も才能に惚れて付き合っていたのだが、男として見ていない私に不信感をもったようだ。
世の中には恋愛でしか人と人を結びつける術はないのかと残念に思う。
思いやりや優しさは人との絆とはなり得ないのか。そこから出発したなら私は恋愛を超えた関係が築けるのではないかと思う。


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