携帯から書く日々ブログ
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社会的自己、と、本来的自己とは異なる。どちらが本来の私かと、考えると、今は、これが私だ。確信を持ち言える。社会的自己は私が社会から与えられた屈辱から生まれた悪魔の姿に過ぎない。 借りの衣装に満足出来る訳がない。巷を騒がしている事件を見ていても解る。親の期待、社会の期待、学校の期待。サービス精神旺盛な私でさえ耐える事は出来なかった。最近の若者が切れやすくなったんでは無くて、案外、自分に気がつくのが早くなっているのかも知れない。 社会や親なりが切れるまで気がついてないだけかも。鈍感である事を人のせいにするのは、大人げ無いと言う方が正しい様な。 鈍感はあらゆる所で罪を犯す。鈍感になれば生きて行くのは楽でいい。 貴方の代わりに誰かが傷ついても関係ない、で、終わりなんだろうな。 問題を起こした張本人だけが責められる。 何の解決にもならない。 全ての犯罪に当てはまる訳ではないが、当然犯した罪の責任は本人が取らなくてはならない。物事を簡略するのも考えものだ。 あらん限り物事から学ぶと言う姿勢がいいのかも。形ある物に対する、もったいない
!精神をありとあらゆる所に発揮して欲しい。刑務所に入る様な悪事はしてはいないが、私の鈍感さから傷つけた人はいるかも知れない。取り返しのつかない経験から反省する事は多い。鈍感な私との別れは結構きつかった。愚か者である私は最後まで偽善者でいたかったのだ。 別れてサッパリした。みっともない自分にも愛着はあった訳だ。 PR |
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