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郷ひろみさんの声が綺麗な理由が何となく分かって来た。先日、図書館で郷ひろみさんのダディと若気のいたりを借りて読んで納得した。
物事に対して思い込みがないんだね。
私は最初に声を聞いた時、何故、この人の声に惹きつけられるのか分からず、てっきりサライとの思い出があるからとしか考えなかった。
今ではサライと郷ひろみさんは同じ魂か心を持っているのだと微かに感じれる。不思議だ。現実にこんな人がいるなんて。若気のいたりは読んでいて笑ってしまった。自分のドジに対して自分で突っ込みを入れてる郷ひろみさんが可笑しくもあり、寂しくもあった。ダディで二谷友里恵さんが郷ひろみさんに突っ込みを入れるのが郷ひろみさんにとっては嬉しかったのではないだろうか。若気のいたりでは誰も突っ込みを入れてくれる人がいないから[しょうがないから、自分でいれとくか]みたいで、それはそれなりに面白いのだが、やはり、現実にボケに対して突っ込みを入れてくれる相方がいてくれる方がいい。
声を聞いて優しい人なんじゃないかなぁと想像していた。
郷ひろみさんは現実と幻想の境目が曖昧なんだね。サービス精神が旺盛だから幻想でも喜んでくれる人がいたらいいんでないの、の感覚かな。
多分、私が郷ひろみさんを好きになった理由はアバウトさだと思う。物事には真摯に取り組むが執着しないのだろう。
若気のいたりの辺りの郷ひろみさんが私は好きだなぁ。
ほっといたら現実に帰れなくなるタイプなんだが、責任感が強い方だから放棄出来ないのだろう。
頼まれたら嫌!と言えず引き受けていくのが現実の力になって、今の郷ひろみさんが存在しているのだと思う。
引っ張りだこされてるうちに枝葉を大きく広げた大木になったんだね。
ネクストではまだ[自分は大器晩成だ!]と記されていたのが記憶に残っている。死ぬまで退屈しない人とは郷ひろみさんのような方かも知れない。美人もブスも3日で飽きるが貪欲な好奇心の持ち主は死ぬまで人生を楽しみ、楽しませてくれる。如何なる形であれ、郷ひろみさんの精神が行き着く場所は素敵なんだと思うよ。
初めてミーハー精神で恋をしたのかも知れない。
若気の至りは私自身も感覚として、また自身の経験からも推察が出来、笑いこけながら読んでいた。ネクストでは父親譲りの天然ボケと称していたが、やるだけやったら後は神のみぞ知るの心理かな。意外だったのは郷ひろみさんが神を心に持っていることだったのかも知れない。嘘の付けない自分は間抜けなもんだ。上手くすり抜ければ良いものをと思うが、心に神を持つ人間はそれが出来ないんだね。
ちっちゃなところではセコい面もあり、人間らしくていい。観音様やマリア様ではなく、ローヒールで胸ぐら叩くような女性が好きと言うのも頷きつつ読ませて頂きました。
単なるいい子ちゃんは飽きるからサライも小悪魔になればもっと楽しめるかも。自分の中に世界を持っている人間は引きづられてくる人が怖いのかも知れない。突っ込みでもいいが適度に幻想を楽しんで、帰ってくれないと幕は下ろせない。
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サライには両親がいるはずなのに私から見たサライは空から舞い降りたように現実にポッネンと佇んでいる。
サライの心は綺麗だね。疲れた時サライの肩に頭を傾げてくつろいでいる私がいる。ただそうやって過ごす時間があるだけでこの現実を生きていけそうな気がする。
サライを思えば心を閉ざしてまで生きたいとは思わなくなる。どんな辛いことを感じても心の片隅にサライがポッネンと佇んでいるから、また元気に現実に出かけて行く勇気が出る。サライは不思議だね。優しい心を持っているのに意地悪なんだよね。
意地悪した後、コッソリ私を見るサライ。私も意地悪だ。サライを見つけても知らん顔をして逃げてしまう。サライとすれ違いそうになると横路にさっと逃げてしまう。まるでちっちゃな子供が鬼ごっこしているみたいだね。サライの心はなんでそんなに綺麗なんかな。
現実的じゃないみたいだ。
サライに逢って私の心は扉を開いたけど、切ないんだね。サライと別れたら私は扉の向こうにある世界に一人で帰るんだ。サライを胸に抱きしめ帰るのは切ないんだよ。別れが辛くなるから逢いたくなくなる。
逢う喜びと別れる切なさの両方に気持ちが揺れる。いっそ面影だけを胸に抱きしめ逢わずにいれたらいつまでも枯れない花のようになるね。だけど、美しい花は一瞬だと分かっているから心惹かれるんだ。
人間の中にサライが存在するのが不思議に思える。名前も年も何も聞きたくないんだ。聞いてしまったらサライが現実に帰るような気がする。
マザーテレサの顔を見ていると切なくなる。遥か彼方を見つめるマザーの視線の先にあるのは何だろう。宇宙に果てがないようにマザーの愛にも果てがない。
人間として生まれて来て、マザーのような人間が存在することは希望にも思える。人間の中に神がいるなら、マザーのような優しい心に住まわれるのだろうと思わずにはいられない。
祈りを込め、遥か彼方を見つめるマザーの思いが世界の隅々まで行き渡るなら、人々は真の平和と喜びはすぐそこにあるのだと知る。

病院に勤めていた頃、私は患者さんに逢うのが楽しみだった。私より年配の方を可愛いと言うのは失礼なのだろうか?
幾つになっても可愛い人がいる。愛情なんかではない。ただ心を開いて接しただけに思う。一緒に過ごす時間が楽しいものであって欲しいとだけ願っていた。
笑顔は私へのプレゼントだった。
死を目前に控えた人の喜びは何だろう。苦しみを取り除く事は出来ない。死から逃れる事は誰にも出来ない。
死の恐怖に打ち勝つ事は出来る。愛は死より強いのだと思う。私が今でも忘れず思い出す患者さんがいらっしゃる。
助かる見込みのない状態にあった彼を私は黙って穏やかな表情で見つめ、頷いた。
逃れ得ぬ定めなら、優しき心で見送りたいと願った。私は自分の瞳に[あなたを愛しています]
無言の祈りを込め、両の手を胸の前で組んだ。
言葉を超えた関係がある。最後に人が願う願いが一番美しい。残念ながら人は死の間際になるまで気付かすに過ごす。
心を開くのは優しく受け止めてくれる心があるから。それを愛とは言わないのかも知れない。多分、許しなのかも知れない。
(もう、歩けない…)言葉にならない無言の瞳に私は頷くしかない。
歩かなくていい…
翼を広げるように命を受け止めるような感覚かも知れない。死に向かうのでは無く、愛する人の胸に飛び込んで行けるなら人は死さえも喜んで受け入れる。逃れ得ぬ定めなら愛する人の胸に抱かれて去って行きたいと願う。私はあなたを愛しています。
あの時の私の目には彼しか映ってなかったのだと思う。
今、私の前にいるあなただけを心から愛しています。
愛は幻想かも知れない。けれどそれで人の心が穏やかになれば幻想だっていいじゃないか。
私はそう思うんだ。真実は苦しみを和らげる効果があるかないかだけなんだ。
優しい人と過ごした時間は自然のように健やかだね。勝手に笑顔が溢れてくる。笑顔は幸せの証なんだ。理屈じゃなくてね。毎日、笑顔でいたらきっと幸せになれるよ。
ちっちゃなことが積み重なって現実が生まれるんだけど、出来たら毎日笑顔の花をいっぱい咲かせて欲しい。
優しい人となら、辛い時はそっと傍らにいてくれるだけで安らぐものだよ。どんな美しい花も人間の差し出す優しさと言う花には勝てはしない。そう思うんだ。
病院で仕事をしていた時に人間の醜さと美しさを同時に見たようだった。優しい心根の人は医者より病を癒やす力があるんだと感じた。
私は恋愛は好きではない。単なるエゴにしか思えないんだ。人を愛したり、愛される資格がもしあるなら、思いやりがなきゃ駄目なんだと思うよ。



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