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サライを見ていると幸せになる。このまま愛した心のままにこの世界を去って行きたい。別れも辛いのだが、誰も愛さなくなった自分はもっと悲しい。
サライ愛してるよ。それだけで心は豊かになれる。心から愛せるものがあるから人は生きていける。太宰や芥川のような世界には住みたくないんだ。
文学としては素晴らしいのだが、何だか冷たく感じる。
私も書いたりするのは好きだが、私の場合は溢れる思いが言葉になってるだけだから。溢れる思いの先にはサライの可愛い顔があるから書きたくなる。
現実に愛するものがあるから、心は言葉を紡ぎ、愛する人に届けとばかりに溢れる。
私の場合はいつでもそうなんだ。言葉に限らず、全てがそうだったように思う。その時に寄って愛する対象が変わるだけだ。
自然がいい。言葉を無理にこねくり回すのでは無く、心から溢れるような言葉が好きなんだ。
技巧を凝らした表現より自然が生み出した言葉を花のように愛でたい。
多分、それはサライから放たれている優しい空気でもある。[君はストレートなんだね]そうなんだ。いつも思ったまま感じたままを言葉にするのが私なんだ。今は感じることより思ったことの方が多い気がする。
思ったことは私の心の願いだから。
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私の周りはアホな奴ばかりだから、面白い話には発展しない。本を読みながら、[お主やるな!]に出会うと頭が高速で回転を始める。
最近はシェクスピァにはまっている。道化のセリフがいい。今の時代なら漫才のボケとツッコミに分類されるのだろう。お笑い界もシェクスピァ並みになれば教養も感じれるが、いかんせん大衆受けを狙い過ぎて後には何も残らない。
芸能界自体がレベルが下がっているのはやむを得ない。一般大衆に媚びを売れば芸のレベルもさげなきゃ受けなくなる。なんでもかんでも使い捨ての時代だから、芸とは言わないんだろう。
その域に達する前にブラウン官から消えている。
サライもそうなんだが、今の時代にはそぐわない人の方が本当の才能を持っているような気がする。これは若手の話であって、何十年も生き残っている人は別。そう言う人は人間として沢山の引き出しがあるから続くのだと思う。
何でも出しまっせ!こんなんどうでっしやろ!
要するに客が笑ってくれたらいい訳なんだが、笑えない芸人があまりにも多い。その代わりに笑われる芸人が増えたのだろう。
台本を作らずに笑わせるのが一番新鮮な気がするんだが。こう言うのをグラウンド、アイデンティティとか言う変わった個性らしい。
その場に合ったお持て成しなんかもこの中に入る。
今の世の中はマニュアルか台本がなかったら何も出来ない時代に思える。
私の周りは常識と言うマニュアルしか持ち合わせない人ばかりだ。
サライを見ていると何でこんな所にいるんだと疑問が湧くのだが、ネクタイが似合うようなタイプではないしな。人におべんちゃらも苦手そうだし…と徒然なるがままに考える。
今の世の中には似合わない人間ってのもいるんだなぁ。
魅力的ではあるが、使い道が思い当たらない。
どこにいても魅力的な人間は輝いて見えるものだ。どんな仕事をしていようが中身さえしっかりしていたらいいんでないのと私は思うのだが、サライは多分不満に思ってんじゃないかな。
そうかと言ってサライから何かになりたいなんてのは聞いたことがない。
漠然と生きてるんだが強い信念のようなものをサライに感じる。
今の世の中は逆だと思う。信念はないけど何かになりたいと言う人の方が多いのかも知れない。
持って生まれた信念が生かせる場を与えられるか、自分で見つけ出すかしないと宝の持ち腐れになるのだろうが、多分、腐ったりはしないタイプだな。
体の調子がめっちゃ悪い。体中が火を噴いているような。
持病の不整脈以外に悪い所は顔だけなんだが、こんな体調の時はとかくマイナス思考に走り易い。
マイナス思考も面白いから一応書き残しておく。
後で読み直すと自分が如何なる精神状態にあったかが記録され、後に再び襲われた時に役立つ。
まっ、あんまりいい気分じゃないから、遠慮したいのだが、なんせ人間は弱いのだ。
とにかく不安がバンバン膨れあがりお化けのようになる。これが一番怖い。
一個が二個に二個が三個にと、だ。これが合体すると訳の解らない漠然とした意味不明な被害妄想に突入するんだろう。この不安の根っこを探しながら精神世界をうろちょろする。体は火を噴いたままで、不安をぶっ飛ばすエネルギーがないから仕方ない。
このまま精神世界から帰還しなかったら、そん時にゃ精神病院だな。で、ふらつく体で鏡を覗き込む。まだ眼の焦点はあってる、とチェックいれながらなんだが、それにしてもしんどい。鏡に向かってニヤリとと笑うのだが、続かん。
体調が悪い時はおとなしく寝ていればよいのだろうが、私はそんな風には出来ていない。
こんな状態の時にも何かないかなぁと脳みそや精神の中を掻き回す。
この状態を記憶することで後から笑えたりするのだが、たまに笑えない状況にまで至る時もある。
泣くしかあるめぇ!悲劇は笑える程度がよろしい。
炎天下の中を仕事を探し走り回った。
そのせいだろうか。体が異様に熱く瞼は重く死の口づけを受けたように生気を失っていた。
帰りに図書館に寄りシェクスピァの本を一冊借りたのだが、読む気にならない。多分、空腹に喘ぐ人間にも言葉は虚しいのだと思う。
今日のような日はマザーの言葉も届かない。私は疲れきっていた。
家に帰るとそのまま眠りに落ちた。
どうかもう目覚めることがないようにと祈りつつ。神がいるなら私を愛して下さるのなら、死こそがこの心に相応しいように思えた。
言葉では救えない世界にいる者がいるのだとは知っている。飢えている人にとっては食物が救いになる。
言葉の限界はいつも感じている。虚しくさえ感じる時がある。こんなに豊かになり、学ぶ余裕があっても人は学びはしない。
一体誰の為に書物があるのだろう。ゴッホは何の為に芸術にその身を捧げたのだろう。
ゴッホと名前が付いただけで崇められ高値がつけられる。それだけの価値の為にゴッホは炎に焼かれたのだろうか。
ゴッホの書物の中に[君は牢獄を消滅させるものが何であるか知ってるか。それは深くて真面目な愛なのだ。兄弟であること友人であること。それらの非常に強い魔力に寄って牢獄の扉は開かれるのだ]
この言葉が私の胸を打つのだが、言葉にする気にはならない。そんな雰囲気のある国じゃない。
先日、ファミレスで若い子が二人、椅子の上に足を放り投げ肘をつき喋っていた。行儀が悪いと言うレベルではない。
何か大切なものを忘れているように感じた。
あらゆる絶望感と疲労が私から希望を剥ぎ取っていく。これ以上行けば私も化け物になる。自分が弱い人間であることは誰よりも知っている。だが、人間として生まれたからには、人間を保持する限界がある。
炎天下に焼き尽くされた私にはもう歩くだけの力はないと感じた。


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