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頭で考えることと心で思うことは違うんだな 思いやりとは頭ではなく心から生まれてくる そんな人に会うと温かさを感じるのかも知れない ユングが白人は頭で考えるから狂っていると書いてあった 狂っているとまでは思わないのだが人間としてはどうなんかなと疑問に思う ボランティアで少しの間だったがアメリカ人と過ごしてユングの言葉の意味が納得出来てしまった いや、それ以前に私はサライに逢っていて人間にしかかもしだせない温もりを肌で感じていたから余計に嫌な気分になったのだろう 理性的で合理主義のアメリカはかって私の憧れの人種だった 多くの日本人がアメリカに憧れていたんじゃないかな 映画もハリウッドが作る映画は気分爽快な体育会系のノリで確かに気分は一時スカッとはした でもね、心から何かを誰かを愛したらアメリカ並みは寂しい そんなことを感じていた 正しいことって答えが決まってなくて凄く悩むんだと思う
コーデリィア姫ではないが[お父様私は思ってることは行動になるのです] そうだろうね アメリカ人の全てが彼らのような人間ではない アメリカ的な生き方が私は嫌いなだけだ
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腹の底からパンチを食らわしたたくなるような男は脳みそが豆腐で出来ているように手応えが全くない あ~私はこの男とセックスしたんだなぁと思い出す度に吐き気が止まらなくなる おぞましさと自分に対する嫌悪感が全身を駆け巡る 家庭と言う下らないものに幻想を持った結果がこれだ 家庭も結局人間があってのものだ その人間を抜きにして家庭も社会もないだろう そんな単純なことさえ気付かずにいた自分の愚かさに嫌悪感が走る 無知であることの罪は自分自身に降りかかってくる 自己嫌悪や葛藤と言う発想は少なからず美意識があればこそおきるもので、その欠片もない下等生物には起こり得ない コンプレックスと自己嫌悪は異なるのではなかろうか 意識が行う行為に対して無意識にある自己からの嫌悪が派生するようなもので、そのような感情なり情動が現れないと言うこと自体が自己なるものの欠落に思える 自我の崩壊の果てに自己が存在しうる いずれにせよ自己のない人間は不毛でしかない
善悪では無く最善を選びたいと言う心理から常に迷いつつ選択するが故に葛藤は避けられないものと思われる 魂の中にある雑多なものの中から最善と自己に似つかわしいものを選択する力を心は持っているように思われる 生まれつき優れた部分を心は養い育て、より劣った部分を征服するだろう
その反対が自分に負けた者である そのような意味では自己嫌悪は決して悪いものでは無く、まだ人間としてのプライドが残されている証にも思える あらゆる現実に直面した時、如何なる行動を取るかで自己嫌悪は次第に克服、あるいは挫折を味わうだろうが、挫折であろうが克服であろうがそのようなことは問題ではないように思われる 迷いも自己嫌悪もないのは独裁者か死者であろう
どっちに転ぶかでしかない 悩む力は人間の成長に欠かすことの出来ない要素ではなかろうか 悩みもない人間の明るさは本物ではないのだとも思える
懐かしい人を思い出していると自分が見えてくる サライのこともね 私が何故サライに惹かれたのかって不思議だった 口数は少ないわ、無愛想だわ、すぐ怒るし はっきりしないし…サライの悪いとこはありすぎていちいち取り上げていたら日が暮れそう
そう言うのが個性になってしまうくらいサライは人間らしいんだと思う
札幌で新坂にポプラの幹がユニークで不思議な感じがして[面白い木だね]って言ったら[まんがみたいだ]って言ってたっけ 新坂が言うと嫌みがないから何でも素直に聞き入れていたのはやはり人柄なんだと思う
あの頃でも新坂のような人は少なかったと思うのだが、今は皆無に近くほぼ全滅しかかっている。私を好きになってくれた人は何故かみんな似ている 私は多分、都会的な人に憧れていたんだと思うがそう言う人は私のこと田舎っぺって思って相手にしなかったような
病院に勤めていた頃田端さんと言う患者さんがいて私のことを[昔、どこかで逢ったような気がする]って言ってた そうかも。私は島を離れて大阪に来たのだが、なかなか都会に馴染めず母親も呆れていた そうかといって島の人間に馴染んでいたわけでもない どっちかと言えば島の人も嫌いだった 二年前に島に寄ったらタクシーの運ちゃんが[島の人は温かいだろう?]って言ってたっけ 私が思ってる温かさとは違うんだけど この辺りの違いはいまいちよく分からないままだ でも違う
私はその温かい島の中で孤独に凍えていたんだ 大阪でもそうだった 温かいと優しいは違うんじゃない
電車の中で友人にバッタリ出くわした時、とっさに母親のことを[下宿のおばさん]と紹介してしまい、母親に起こられたっけ 何だか身内には思えないんだね サライや新坂は身内感覚なんだと思う 優しい人はいっぱいいるけど温かい人ってなかなかいないんじゃないかな
どう違うのか分からないのだが 温かいって意識して作り出せるものじゃないんだね そう言う人にはめったに会わないからサライを持ち出し見本にしている
新坂、私にもう一度[まんが、おいで]
そう言って欲しい 自信を無くすとあの頃の新坂の優しい言葉や仕草が私に微笑んでいるような気持ちになる いつも新坂の後を犬ころか野良猫のように心ぼそげに歩いていた 新坂には随分慰められていたんだなぁと最近思う 今更、遅いのかも知れないのだが、ただあの頃のように素直に[愛されたい]と思っていた私がいちばん好きな私なんだろう 新坂にはたくさんの友人がいたけど、私が記憶しているのは亀沢だけだ 亀沢と新坂は両極端な性格だったように思う 亀沢は妙に寂しがり屋で酒を飲むと寂しさが募るのか知らないが、私に甘えるようなとこが愛おしく思い出される みんな寂しいのかも知れないね 私もそうだったけど 好きとか嫌い以前に寂しくてしょうがなかったんだ だからこそ人にも優しくなれたんじゃないかな 私の所に集まっていた居候たちも 多分その時代にも関係しているのかも知れない
閉塞感に包まれた人ばかりの中にいるとどうしようもなくなる 新坂のような人は今でも珍しい部類に入るんだとは思うのだが、人間としてどうなんだろうね あの頃の人間関係は今の時代では築けないような気がして寂しくなる
核家族化とかも言われているけど、結局、人間そのものの本質が変わってしまったんじゃないかな
手塚先生が火の鳥で描いていた人間は人間では無く、ガラクタだった ロボットのチヒロだけが人間に見えたなんて、ちょっと皮肉っぽいけど当たってるのかも知れない
優しい人がいいなんて言うけど優しさって何だ!と聞きたくなる 多分、人間としての温もりがあるかないかだと思ってしまう


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