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私は父親が嫌いだった。何処がと言えないのだが、兎に角、家族は欲しいが昔私が暮らした墓場の様な世界では無く、あったかい家族かな。でも不思議なものですね。気が付いたら同じ家庭になっていた。私が恐れていたのかも知れない。見知らぬ世界への恐れが私を過去へと引き戻したのか、過去の方が私を忘れなかったのか、その辺りは定かでないが、人間は自分の中に無いものに関しては無関心な存在だから、出会うものは、何らかの関わりがあるのだとは思う。私は随分長い間父親の影響下にいた事を改めて感じた。偶然実の父親とは離れる事にはなったが、克服すべき問題も父親が握っていた。苦難を与えた人間が握っている訳だ。奪い返さないと進めない課題を私の父親は与えてくれた訳だ。こじつけかも知れないが、そうとしか取れない私の無意識の行動がある。巡り終らないと次には行けない課題だった。
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子供と大人は絶えず闘っています。それを反抗と取るか、自我の芽生えと取るかの違いでしかないのです。大人には思いも寄らない空想は未来への道なのです。大人は分別をわきまえ、たずなをゆるめたり、引き付けたりしながら、さも子供が自由であり、迷子にならない砦であるなら、子供は大人から遠く離れても必ず理解出来る存在になると思います。見えない信頼になる事でしょう。
不思議な世界に会うと、知りたくなる。大抵人の心の世界なんだが、子供が見ている世界は大人とは違うのは解る。どの子供も生まれてすぐの目は拡がる様な視線を持っている。まだ世の中のルールを知らない子供の目は対象と呼応する様に変わって行く。何にも固定されない目をしている。常識としてでは無く知識として、子供は学んで行く。常識はある一定の所においては意味を持つが、離れたら無意味になる。純粋な子供の見方と愛と言う曖昧なものが一つになるとルールは要らないのかも知れない。正しい知識の使い方として、常識より成果をあげてくれる。生物の原点は移ろう環境の中で自在に形を変えて行く。人間になりはしたが、まだ未知の存在がある。私が追い掛けるものは、まだ世の中を知らない子供が見せる適応力。子供ひとり一人が違う形を取り適応している。生まれ持った本能のなせる技なのか。常識に絡め取られる前の子供は、皆、瞳に無限の世界を写している。大人になっても変わらない人がたまにいる。彼等は一応常識は持ち合わせているが、何時迄も持ち歩かない。世界の入口にくると、頭の中にあるロッカーに放り込み、未知の世界に踏みいる。そこでは
常識は鎖のないただの知識に変わる。私の好きなヘレンは常識に新たな息吹を吹き込み世界を大きくした。私の好きなアインシュタインは外の世界に脱け出した。私も夜が来るとそっと脱け出す。アインシュタインが出て行ったと思われる穴から。だからと言って同じ世界に着く訳ではない。不思議な世界への入口は小さな狭いものであるが、一旦くぐりぬけてしまえば途方もない広い世界に出る。実際迷子になり帰れなかった人も私は知ってる。この世界とあの世界を隔てるものを子供は知らない。知識を与えたら思いも寄らない物を子供は作る。残念ながら、大人になると世界は分裂を始める、が、賢い子供は大人になる前に世界の何処かに穴を作って、自由に出入りする。自分で作った穴は常識的言葉に置き換えたら、家と外を区別している扉なんだ。
書物の中で会ったのがヘレン。私はヘレンを気の毒な人として見た事は一度もないのです。今改めて読み直すと、至る所に、哀れなヘレンを強調しているのが気になります。私がヘレンを読んだのは八歳位だったと思います。その頃私が感じたヘレンはただ、美しい人がいるんだ。と言う単純な気持ちだった。偏見は私には無かった。大阪に来て友達になった友人は長い間私に言わなかった言葉を言いました。(私は部落民だ)私にはその意味は解りませんでした。解った後も友人とは変わらず付き合いがありましたから。ただ友人が苦しんでいる事だけは解りました。友人の中にも知らないうちに偏見が植え付けられていたのでしょう。私は見える所より見えていないが、確かに感じる世界が好きです。私にとって楽しい会話とは兎と私の内緒話しであり、庭の花との会話です。私は友人の言葉はすぐ忘れてしまいました。他の人はどうか知らないが私は友人が大好きでした。それ以上は気にしてなかった。好きと言う気持ちは簡単に変われるものではないのです。ヘレンは本の世界に私を誘ってくれた人です。魅力的な人間として、たまたま目と耳が不自由だった。ココ、シャ
ネルは先の友人の勧めで読み、素敵な人と思った。ただ言える事は素敵なものは輝いている。としか説明が出来ないのです。その輝きは内面から溢れてくる何かなのです。そして、それを感じる事の出来る人間に何時も惹かれて行くだけなのです。
物に不自由しない今の世の中に満足はしています。肉体にとっては現代程満たされた時代はないと、私は私の過去を振り返って思う。にも関わらず、過去を懐かしく思うのは、気取りのない仲間が大勢いた事です。私のアパートには次から次へと居候がやってきました。うるさい時もありましたが、揃って風呂に行ったり、仲間の一人が作った料理を食べる時、楽しかったのを覚えています。一時の触れ合いではあったが、気を許しあった仲間とのコミュニケーションは恋愛感情を遥かに越えるものがありました。貧しいからこそ出来た事かも知れません。分け合わなくてはならない生活も、案外、素晴らしい贈り物を携えているものです。


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