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好きな所を抜粋。江藤も喧嘩はうまかった。対手を刺し貫かずにはおかないというような苛烈な言葉の使い方を、私はこの二人から密かに盗んだ。別に〝冒険〟をしているわけではない。結果的にそう見えるかもしれないが、最も的確言葉を探して、ある種の上品さをかなぐり捨てているだけである。略。竹中クンの人物評には、底意地の悪い不潔感のともなう表現はありませんね。斬られるほうだって、鈍刀でやられるより名刀でスパッとやられたほうがさっぱりする。竹中クンの裁断というか、メスの入れ方というものは非常に明快、痛快で僕は好きですね。それを嫌だ不愉快だというのは、よっぽど了見の狭いヘンな野郎で、そういうのがつまりエライ人ということになるんでしょうな。略。文体や斬る対象によっての心配りがなされているかという問いにも。これはねぇ、無意識にというか、言いたい放題に書いちゃいませんよ。文書読めばすぐにわかるけど、竹中ってのは意識過剰な男だからね。それはかなりはっきり意識して工夫して書いてますとも。これね、ちょっと見ると、俺を怒らせよう怒らせようとして、今東光に竹中が挑んでなと、トーシロは思うでしょうけどね、そ
いつは間違いだな、だいいち僕自身がそうとっていません。逆に悪口はそれでも足りない、もっとやっていいと言いたいくらいだ。人物評ってもな、そういう毒をふくまなくちゃ、サマになりゃしません。ハゲだって、ヘッヘッへ今に見ろ、手前だって禿げらぁと楽しみにしていたら、ごらんなさい坊主になっちゃった。文章ってものは、両刃のツルギです。人を斬るときにはおのれの血を吹くことを覚悟でなくちゃ、ものなど書けやしませんよ。それが、工夫や心配りの根底になくちゃねぇ。竹中クンの文章だって、再読三読してみればそのへんをちぁんと心得ていることは、眼が節穴じゃなきゃわかるはずです。略。政治家にモラルを求めるのはゴキブリに求めるに等しい。羽田を悪い人だとは思わない。いい人であることに私も異論はないが、その上に(どうでも)をつけたい。おしまい。以上。気に入った部分を抜粋して保管。なかなかこんな人物にはお目にかかる事はないが、相手する側にも相当の強さがないと難しいだろう。本だって一冊丸ごといい本なんかない。人間も。面白い人間が好きなんだが、最近の人間は工場で生産されたのかと勘繰りたくなるほど同じな
んだなぁ。差異をつける為に物が大量に必要になる。
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面白くねぇ。テレビのチヤンネルを変える。(お、養老猛さんだ)ついてるね。本も何冊か読ませて頂き、納得。だらだら話す方ではないが、一言が納得する。急所を押さえた会話に無駄が無くて、あ~全体を見た人間にしか言えない言葉だなぁ、と。新聞をパラパラ見る。暇だから目的も無く、手当たり次第なんだが、思わぬ拾い物がある。良いか悪いかでは無く、相性はある。好い人なんだが合わない人もいる。真面目な人程ジョークを理解する。常々思うのだが。ky、空気が読めないの意味らしい。対して養老さんの意見がいい。読むでは無く変えると言う。賛成だ。協調性がないと言われたのは、つい最近。ない訳ではないが、協調出来る程いい空気なら、喜んで同調でも協調でもしたんだがなぁ。こだわり過ぎとちゃいまんか。うちのガキは私が馬鹿を連発するのが気に入らないらしい。馬鹿と言う日本語がある訳だが、出番が少ない。面倒臭くなると出てしまう言葉に、馬鹿がある。意味の感じ方は人それぞれ。話す気にならない時、話を打ち切りたい時によく使ってるかなぁ。空気読んで下さい。話が合わない時は面倒臭い。
河、豚と書いてふぐと読む。ふぐの内蔵には毒がある。何の為に、生き延びる為の知恵に決まっている。因みに私の中にも大量の毒がある。ケチな出し方はしないが、役にたつから溜めておく。自然を見ていると私の中にも自然が生きている。それらをコントロールする理性?なるものも。使い方さえ間違わなければ武器にもなる。悪いものは自然にはない。人間との知恵較べなんだ。
人間は、きわめて高貴な資質を持っているが、その身体の枠組みに消し去ることのできない下等な起源の痕跡を残している。人間が進化を成した道のりが意識の深い部分に今だに息づいている。ダーウィンの種の起源を読んだ時、救われた様な気がした。生命の中にある野蛮なものを私は否定する事ができなかった。聖書を何度か読んだが、綺麗事だけの聖書に人間の歩いた苦悩の道のりを見るより、理想だけを求める夢想主義でしかなかった。私自身の中に連なる命の連鎖を断ち切る様な気がした。最初から人間が今のままなら何の為に悩み苦しみ、いずれ、死ぬと解っていながらも歩き続けるのか。過去を振り返り進化を遂げた誇りが私の意識の深みにあると言う確信があるからに他ならない。
楽しかった。四畳半に七人の小人だったら可愛いのだが、単なる居候だ。全員が定職も無く、漠然と生きていた。今はどうしているのか知らないが、彼等も忘れてはいないであろう。馬鹿な連中と言えばそうだが。あの貧しい時期を楽しく過ごせたのも七人の侍でも無く、小人でもない。正真正銘の居候達。忘れてはいないだろうか。貧しいと言う事は思い遣りがない状態だ。あの頃、スーパーの裏から痛んだ野菜を拾い食った。腹さえ満ちたら構わない。世の中がなんと思おうと構わないが心まで貧しいのが現在の貧困だ。外部からしか自分を判断していない。比較する事でしか幸せを計れない。それが貧しい心を生み出す。あ~こんなに哀れな私に愛の手を。不幸と思った時点で不幸なんだ。嘆いた所で変わるものはない。ただ自分を鍛え抜く為に全てがあると信じたい。出来たらの話だが。限界がある事も承知で、せめてそう思い生きていたい。


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