携帯から書く日々ブログ
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私はかなり勘がいい、ただし金儲けの勘は全くないから真面目に働くしかないのだが、何故か人の心や優しさに関しては鋭い。それは実に見事なくらい当たる。昨日私が花を差し上げた店の方々は私を好いてくれているんだと分かっていたから、差し上げたんだが、あれから一年ちょっと立ったけど大事にしてくれていた。おまけに西日を避けてきちんと優しい場所に移されていた。私が自分の愛を差し上げるのはそこに優しさを感じれる心があるからなんだ。感じれない人に上げても無意味だからね。昨日はつくづく私は愛のある人を見抜く眼力だけは人並みはずれた才能を持っていると思った。
感じれる人も才能あるからなんだ。 逆に感度の悪い人も見抜く。こう言う輩はひたすら無視する。関わるだけ時間の無駄。多分、そう言う人は自己中心なんだ。与えるなんて言葉はそう言う輩の辞書には載ってない。心の貧しい輩だ。誰も心から愛さない人は乞食みたいに貧しい。そんな人から得るものなんて何もないんだ。 だから、私は私が愛した人を信じれる。私の勘は愛のある人とない人の区別には鋭い。 ない人に対する私の憐れみは絶望的な感じだ。こんな人が誰かを愛する事はあるのだろうか。人間はなかなか変わらないものだ。特に愛する能力みたいなものは天性のようなものだから、余計獲得は難しい。 私は天才とは神様の愛だと常々思っている。神様の贈り物でもいいけど。そう言うのを戴いた事を感謝するなら、喜びになるなら人々に与えるべきなんだろうね。昨日のようなことがあると、私は心の中で聞くんだ。[神様これで良かったんですね]って。 大抵黙って頷いているだけなんだが、私の心が晴れ晴れとしているのが許しと祝福の証だな。 いっぺん与えてごらん。疚しい心を捨てて。心の中で天使が微笑むから。 PR |
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