携帯から書く日々ブログ
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愛されるにしろ、愛するにしろ同じなんだ。愛されたくて一生懸命だった頃の自分を愛おしくも可笑しくも思う。何だかまるで似合わない衣装を片っ端から身に着けたような。結局十代の頃の私に帰ってきたが、あの頃の私ともまた少し違う。Gパンにシンプルな上着がいい。十代の頃はよく男の子に間違えられたりした。不快ではなかった。あえて自分から間違えられるように振る舞っていたのだから。多分私の憧れは女になる事ではなく何時までも少年のままでいたかったのかも知れない。 女を演じなくてもいい時が最も自分らしい気がする。 ありのままの私。それは女でもなく男でもなく子供でもなく大人でもない状態だ。誰かの相手役を演じるのではなく私自身の感情なのか心なのかは知らないが、そう言う自身の内面が表現できたらいいと思う。自分が何者でもない状態が最も私らしいのかも知れない。移ろいやすい心のままに私も変わって行く。 もしかして何時の日か女もいいと思う時も来るかも知れない。今のところ有り得ねぇけど。 女になるには男がいなきゃなりようがない。 愛するとは相手を支える事と私は考えるが
、愛されるとは注ぎたくなる存在なんだろう。一体どんな花が咲くやら、期待しつつ手入れをする。そんなとこかな。注いでも一向に咲かない花なら何時しか忘れてしまう。造花は好きじゃない。生きているって何時か枯れたりもする。 PR |
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