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ソクラテスの後にイエスは生まれた。私から見たらソクラテスとイエスは同じ魂と精神を持った人間に過ぎない。私はイエスを神とは見ていない。私達と同じ人間として見ている。彼の思想の世界が知りたい。如何にして彼があの境地に辿り着いたのかが知りたい。イエスを語る者にイエスの心は感じれない。神と崇め、理解もせず、巷をうろつき内容のない言葉ばかりを語る。オウムの様に言葉を繰り返す。私の疑問に応えようとはせず、空っぽの虚しい言葉を繰り返す。誰も彼も同じ顔ではあるが、私が感じているイエスには似てもいない。勉強不足の怠け者に過ぎない。他にする事はあるだろう。余程暇をもてあましているとしか思えない。彼等には人とコミュニケーションをする気はない。ただイエスが言ったかどうか知らない言葉を馬鹿みたいに繰り返す。イエスと言う人間に依存していると言う意味では確かに神の子供だろう。しかし、イエスはそんな幼稚な人間を望んではいなかったんではないだろうか。三位一体につき、教えて欲しいと言う私に、何の説明も出来ない。イエスを理解しているなら、この位の質問には応えられるはずだと私は思う。神を神秘のベールで隠し、
迷える子羊を引き連れ何処に向かっているのか。神は一人ひとりの命に宿っている。自分さえ愛する事も出来ず、愛を語る事ができるのか。神は個性こそ愛する。イエスは尊敬するが、イエスの名を語る人間は愛せない。イエスもガッカリしている事だろうよ。
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刻印は何処にあるのだろう。確な刻印があるはず。私には解らない。刻印がどの様な形で示されるのかも、勘の鋭い人間にはそれが解っている。知らないのは刻印を持った人間。本人だけには知らされていない。私がさすらいながらも探し続けた人間は、今だ正体を証されていない未知の人間。最近ガキの好きな本に気になる人がいる。何と無くではあるが、秘密を知ってるのだけは解る。彼が何処で知ったのか、彼自身が刻印の持ち主なのか、それとも刻印を持った人間に呼び掛ける為の存在なのか、解らないでいる。作品には確かに知ってる者しか書けない秘密が隠されている。世界の至る所から発信され、呼び掛けている。21世紀に生きているイエスであり、ソクラテスに向けて。何の為にかは解らない。解らない事だらけではあるが、あらゆる所から力を集める様に動き出している中心点がある。逆らう事など出来ない。それが刻印を持った者の宿命なのだから。近代化学の中においても解けない謎をただ一人の人間が握っている。多分本人は気がついてはいない。探し出し、変わってあげる事は不可能だが、力になれるならなりたい。そう願う。書いている意味が解りかけた気が
する。届いて欲しい。ただ一人の人に。
本は巷に溢れかえっている。読みたい本がないだけ。昔読んだ本を繰り返し読む。ビクトルの夜と霧とか、ココ、シャネル、レオナルド。他にも印象的な本はあるが、殆んどが20世紀の終り頃までに生きた人ばかりの気がする。ハッピーエンドではないが、私は人生の醍醐味は幸せにあるのではなく、幸せを追い求めたにも関わらず、過酷な道を行かざるをならなくなる人間の意味が知りたい。誰でも幸せになりたいと願うが叶えられない人間がいる。幸せにはなれないが、溢れんばかりの愛と祝福を受けた人間がいる。誰よりも幸せを求めたにも関わらず。神様か運命か知らないが、残酷な事をするものだと思わずにはいられない。歴史の中に永遠に名前を刻まれるが、それらが苦難だけで色どられているのではない。私が好きな人間は不屈の精神を誰もが備えている。全てを投げ捨てでも、ただ一つのものを追い求める。彼等に共通するものは不屈の精神。その果てに大輪の花がある。ゴッホのひまわりなども、環境がどうであろうと不屈の精神の持ち主は闘いの神。闘いの中でしか生きれない。そこにしか生きていると言う実感を持つ。運命は偶然ではなく、残酷とも言える手口で人
間の奇跡とも言える仕事を成し遂げて行く。私は常々間抜けな人間を書く。人々が幸せな夢の中にいる最中に起き出して、彼等は仕事を始める。幸せのもっと向こうを目指す彼等には時間がない。長い道のりでしかない。手近に幸せはあるのに、彼等には見えていない。暗黙の地があり、約束した刻印がある。私にも良く解らないのだが、彼等が現実に興味がないのは、偶然ではない。意識するしないに関わらず、彼等は見知らぬ地を目指している。何の為に。人生は苦しい所であるが越えたなら天国がある事を教える為に歩き続ける。永遠に続く道に終りはない。ここでいい!満足する事を知らない人間が死の瞬間に味わうのが、不死鳥の様な人間の存在。記憶を塗り替え新しい肉体に何度も宿る。その魂の持ち主を私は探し歩いている。
私から見れば、現実に生きている人間はほぼそんな所だ。何とかこの狭苦しい世界で適応しようとしているのだろう。動物園の動物に例えるなら、兎からライオンに至るまで数多くの動物が生息してはいるが、誰一人抜け出す者はいない。上手くシステムと折り合いをつけ、システムの中における王者の印でもある、ライオンになる事がさしずめ重要なんだろう。時々システムを脅かす輩が出現すると、ライオンさえも脅え、抹殺しろとわめく。システムにとって不都合な人間はいらない。人間の安定思考がもたらした文明は人間らしさを剥奪する事で、保たれている。個性だなんだかんだ言った所で大した個性ではない。みな、システムからの許可がついている。自由と思っていても、システムが許した範囲でしかない。自由が許されているのは頭の中だけ。その中もとっくに洗脳されて、自由な発想が生まれるスペースはない。こしらえた思考を壊さない限り、新しい考えは出て来ない。思考の崩壊は容易くない。そこには目に見えない壁があり、越える事は社会からはみだす恐れがつきまとう。単なる思考だけの問題であるにも関わらず、それさえシステムに占領されたんでは、個人も
へったくれもあったもんじゃない。個性的ではなく、頑固になった頭は新しい発想など出来る訳もなく、ちっぽけな意識の中で狭苦しい穴蔵を堂々巡りの思考を繰り返す。
本屋に行く事は滅多にない。たまに行くと俗悪な本の数の多さにのけぞる。書いてる方にも問題はあるが、支持されなければ自然と消滅する。戦後直ぐに、漫画が低俗と言う批判をあび、馬鹿げたお祭り騒ぎをなさった大衆は今やりっぱな俗悪人類。気がついたら、俗悪になっている。しかも、自覚もない。これだけ教育に熱心になっても、未熟児がワンサかいる。インテリのシンボルであった書物は今や、美意識の欠片すら残っていない。企業の戦略の巧みさには、脱帽致します。さすがペンの力は強い。愚かな大衆もメロメロと言う所だ。考える力をなくした人間は利用され捨てられて行く。戦争で懲りた筈だが、相変わらず自分で考える事はしない。怠け者のくせに幸せだの平和だのと、鳥肌の立つ台詞だけは声高に叫ぶ。


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