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私は何も知らなかったと言う事で自分の過ちが消える訳ではない。 知りたいと思い生きてもきた。 何が正しいのか、どうあるべきだったのか。 答は一つではなかった。日々の中でその時に応じてどのような判断のもとに行動するのかでしかない。 判断を下すのは私の良心でしかないと今では思っている。たとえその判断が間違っていたとしても、悩み、考え出した結論は私をもっと良い方向へと導いてくれるだろう。 最善を尽くす以外に方法はなく、迷いつつ歩くしかない。 永遠に私は迷うだろう。常に物事は私に問いかけるだろう。それらに対して真摯に応える事しか出来ない。
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誰に聞けばいいのか。なんと問えばよいのか。言葉が見つからず黙り込んでしまう。人の心の最も深い思いは人の手は届かない。言葉にならない思いに人は静かな夜に人知れず祈りを秘め空を眺める。 言葉にならない思いの中で、生まれた理由を尋ねる。誰にでもなく、夜空をぼんやり眺めながら、問いかける。誰にでもなく、自らの命に。 生きていたいか。 そうだね。 昔は生きる事をひたむきに願った時もあった。それは命あるものの本能に過ぎない。今私が問いかけているのは私の心に。 疲れた。理由なんてない。夜空を眺めながら弱音を吐く。充分生きた。タバコをふかしながら夜空を見上げる。
麻痺した生活は楽でいい。何の疑問も持たず母親の言葉に従っていたが、本心は違っていたのだろう。次第に息苦しさを覚え、置き手紙を残し、家を出た。 古い習慣で子供は親に従うものだと私自身もそう思っていた。親の価値観、世の中の価値観。それは絶対的なものにも思えた。そのまま信じていれば生きていくのは何でもなかっただろう。いつ頃からか疑問を持つようになった。 自分自身の心から遠く離れた現実に出かける。疑問を感じてはいてもこの現実は揺るがない。 本当はみな自分が感じている事に自信がないのだとも思う。それが本当は当たり前の心だ。迷いも悩みもない人は独裁者だけだ。 もしくは死んだ人。 生きてる限り人は悩む。麻痺する事は生きながら死んでいると何ら変わらない。 それならばいっそ心と心臓の両方を同時に打ち砕いてくれる方が優しさと言うものだ。 心臓が止まるそれが世間一般の人の死だ。私は生きながらにして死んでる人こそ哀れに思う。その胸のうちが苦しみにもがいていたとしてもだ。
キリストは人間であり神ではないと言うのが私の考えだ。信者の多くはキリストを神にしたがる。その心理は辛い事や不幸はみなキリストに背負わせる事だ。キリストが人間では不都合な訳よ。なぜなら同じ人間として天と地の隔たりがある。キリストを神にしたがる心理はただのずるさでしかない。滑稽な神の使いを自認するがいい。 因みに私は苦境にさしかかると嫌でも苦難を生き抜いた人を支えにする。 鈍感な人にはわかりはしない。祈りしか残されていないものが望むのは心の安らぎなんだ。
弱い者にしわ寄せがいくと言うのは真実だが、弱い者には強みもある。世の中が不景気で嘆く中で、貧困の中で質素な生活に慣れた強みだ。物に囲まれ、物でしか豊かさを感じれない者達には耐える事はできないだろう。 貧困に生きた者は僅かの糧で満ち足りる術を身につけているのだ。 きっと君には貧困は別世界の出来事だろう。世の中一寸先は闇とも言う。 天国から地獄はさぞ辛かろうなぁ。 その日が来たら君は言えるだろうか。弱い者にしわ寄せがいくと。受け入れる事が出来るだろうか。 耐える事が出来るだろうか。 君の馬鹿げた豊かさが永遠に続けばめでたしだ。


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