忍者ブログ
携帯から書く日々ブログ
[174] [175] [176] [177] [178] [179] [180] [181] [182] [183] [184]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ダヴィンチとサライの関係も同じようなものだ。詩人は沈黙を好まないとはゲーテの言葉だが、ダヴィンチは盗み癖のあるサライを嘘つき呼ばわりしながらも愛していた。ゲーテとエッカマンの会話が如何なるものであったか知るよしはないのだが、多分たわいのない会話だったろう。発想は常にさり気ない日常にヒョイと現れる。ゲーテはエッカマンと話しながら女神が何時目覚めるかを待っていたのかも知れない。その扉を開くのはエッカマンでありサライである。表舞台に出る事はないが、ゲーテやダヴィンチを支えていた存在を彼らを通し感じる。並の人間では決して開かれる事のない扉を開く鍵を握っている。出会いは偶然ではないのだ。人の心を開く鍵を持った人は予め決まっている。
PR
昨日カラオケでまたもや感情点が0を打ち出した。もう見ない事にした。他人が作った歌の感情なんか知る訳ない。機嫌取られて喜ぶ人ならその辺りの心境にのめり込めるんだろうが、そんなもん何の役にも立たない。歌はただの表現でしかない。あ~そう言う表現もいいなぁ、だけど飽きてくる。同じ表現だと飽きてくる。気分は同じだが表現を変えるから楽しめる。 なんでも浸りたがる人は嫌だ。悲しい時は明るい方に行けよな。辛い時はアウシュビッツの人々の苦しみを思えば充分だ。今更、カラオケでセンチメンタルになる気にはなれない。あ~そんなもんかよ。最近の歌はその程度でしかない。そこに感情移入しろって方が無理。ガキじゃあるまいし。見事な0点に我ながら感心する。
ゲーテの格言が好きな理由は、人生の謎解きだからだ。神秘的なものに私は惹かれる。答が出ていないものに。嫌いなものは分かりきった事とワンパターン。安心感と退屈は似たか寄ったり。何も変化しない死体のようなものでしかない。 安定した場所を得るも良し、しかし私は自分の心にこそ安らぎの場を持たない。どこへでも持ち運びが出来るものでいい。 ゲーテの格言から、天国にひとりでいたらこれより大きな苦痛はあるまい。 試して見るがいい。墓場と何ら変わらないのだ。
大学を出て立派な教育を受けた連中が破廉恥な行為をする。教育と教養は違う。おまえの目は節穴か。人間を見抜けない節穴だから上っ面しか見てないんだ。人の才能を見抜くのも才能の一つ。教育なんてなくてもいい。教養があればどこででも学ぶだろう。教育は教養が下地にあってこそ力を発揮する。それがなきゃ何の意味も持たない。何の為におまえは学ぶ。与える為にではないのか。教養のない人間には与える知恵はない。宝の持ち腐れとは正にこう言う事を言うのだ。教養のない人間から学ぶものは何もない。奪うものはあっても得るものはない。
阿呆は金を使うが賢い人は頭を使う。阿呆は金をただの紙切れとして満足するが、賢い人は欲張りだから黄金にまで変える。ものに命はない。人の思いや愛が注がれてこそ価値を生み出す。人の命も同じではないか。思いやりを感じるからこそ心臓は鼓動し躍動する。媚びとへつらいを尊敬と勘違いする。阿呆はいつでも勘違いを繰り返す。巷を歩けば阿呆に会うのには苦労しない。日本の頭は阿呆な議員や役人なのだから。それに従う野郎どもも同罪だ。格差を嘆くより、馬鹿で阿呆な連中を支えているのは貴方自身なのだ。


忍者ブログ [PR]
カレンダー
08 2024/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
[05/17 backlink service]
[02/04 オトナの即愛倶楽部]
最新記事
(04/22)
(04/18)
(04/15)
(04/14)
(04/14)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
最古記事
(06/24)
(06/25)
(06/26)
(06/26)
(06/27)
アクセス解析