携帯から書く日々ブログ
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死を越える苦しみがあり、死を越える喜びもあるにはあるがめったにあるものではなかろう。平和で穏やかな日々を誰も有り難がらない。本当の穏やかを知らぬが故に。自然である事。腹が減れば飯を旨いといい食らう。眠くなれば安心して眠れる。そう言う当たり前の日常が今の日本にはないのかも知れない。やたら自己主張ばかりが横行する日本で自然体で生きるのは不安を覚える。そんな気持ちも分かるが、不安から得た穏やかさは又不安を呼び覚ます。堂々巡りになるだけだ。働かなきゃ生きて行けないような世の中ではなく働く事自体が喜びなら頭と体のバランスが程よくとれた日々もあろう。腹が減ったら飯を食う感覚で死も特別なものではなくなる。生まれてきた以上、やむを得ない事ってあるんだ。そう言う事を素直に認めて生きるってのが穏やかなんだろうね。
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孤独とは暖炉のない居間のようなものだ。余りの寒さに身を焦がして暖まろうとするようなもんだ。よその家では暖炉が赤々と燃えテーブルには湯気が立ち上るスープがある。家の窓から憧れの眼差しを投げるが決して中には入ろうとはしない。招かれざる客だと彼は知っている。永遠に客でしかないのだとも。暖炉がなかろうと自分の居間がいいのだと。そこで彼は憧れから様々な夢を紡ぐ。凍えた指と熱く燃える胸の内からスープの湯気のような物語を紡ぐ。
孤独は生きている人間が感じる事の出来る死である。最早外の世界との関わりも外され暗黒にポッカリ浮かんでいる。かって自分が住んでいた世界を懐かしみながら見てはいるが二度と帰れはしない。酒を飲み、語り、笑ったのも夢のように過ぎたのだと知る。あそこで踏みとどまっていたならと悔やみはするが今更帰れはしない。あそこに通じていた道は消えてしまった。 死を目前に控えた者は私の中に安らぎを見いだす。昔会った者のように心を通わす。死へと赴く者は一人で行く。私が一人で歩んだ道を彼らは歩かんとする。ある者は怯えながら、ある者は毅然と。私の微笑みに彼らは安堵しただろう。又会えると確信し別れを告げる。孤独は真実の再会でもある。
言葉にならない魂の叫びを読み解いて欲しい。暗黒から泣き叫ぶ声を受け止めて欲しい。その時私もあなたも言葉が虚しいのだと知り、沈黙と静寂に安らぐだろう。ただ流れゆく雲や風を静かに眺めていよう。言葉も無くした世界が豊かな心情に満たされる時に溢れくるものが未来を照らす光になる。全てを無くした時生まれくるものが最も豊かな王国だと知る。
見た事はないが何か巨大な存在を自らの命の中に感じる。魂なるものがあるなら孤独と言う闇の中ではないだろうか。寂しいと互いに温もりだけを手がかりに歩み寄る。闇の中で私たちは一つに溶け合い言葉を交わす事はない。その必要がないのだ。本当に心が癒やされるのは言葉さえ失った安らぎの時だ。顔も名前も知らぬが私はあなたを忘れてはいない。どんなに姿を変えようが私はあなたを見つける。
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