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ゴッホのひまわりは命尽き果てかけた悲しさがある。天真爛漫じゃないから好きだ。自分の心に正直に生きたいだけなんだが、そんな単純なことが出来ない世の中は果たして豊かと言えるのか。
埋められない心の喘ぎをゴッホはひまわりに託したのか。
ひまわりは疲れた者のように首を垂れている。絵画の解釈は人それぞれだ。芸術家の願いはそこに自分の心を見て欲しいと願う。ゴッホの心ではない。
今、ゴッホの絵画を見ているあなた自身の心を投影して欲しいんだ。きっとゴッホはそう願っていた。愛を伝えるのに鳥は美しい声でさえずる。
芸術の源は愛なんだ。命の歌。だから心から誰かを愛した者は独特な形で愛を表現する。自分の持てる富の全てを捧げる覚悟で。
ゴッホの愛は深く悲しい。せめて感じてあげたい。こよなく命を愛したゴッホを。感じて欲しいと微かな望みを託した愛は切ない。多分届いた時は夢を見ているんだと疑うだろう。ゴッホの愛は私たちに届いたが、肝心なゴッホはいない。
おーい!ゴッホ届いたよぉ。
私はこんなことを感じながら君の愛を感じていた。君の愛の表現はまさにゴッホだった。
愛は人を芸術家に変貌させるんだってことを君に教えられたようなものだ。きっと君と私は神様に守られている。私は神様を愛するように君を愛しているから間違いないんだ。
愛は年を取らないんだなぁとも思った。だって君と私は15歳くらいのままに愛し合っている。君は妙に大人ぶるが、やはり15歳のままだ。一番美しい時のままだ。
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ゴッホのひまわりは命尽き果てかけた悲しさがある。天真爛漫じゃないから好きだ。自分の心に正直に生きたいだけなんだが、そんな単純なことが出来ない世の中は果たして豊かと言えるのか。
埋められない心の喘ぎをゴッホはひまわりに託したのか。
ひまわりは疲れた者のように首を垂れている。絵画の解釈は人それぞれだ。芸術家の願いはそこに自分の心を見て欲しいと願う。ゴッホの心ではない。
今、ゴッホの絵画を見ているあなた自身の心を投影して欲しいんだ。きっとゴッホはそう願っていた。愛を伝えるのに鳥は美しい声でさえずる。
芸術の源は愛なんだ。命の歌。だから心から誰かを愛した者は独特な形で愛を表現する。自分の持てる富の全てを捧げる覚悟で。
ゴッホの愛は深く悲しい。せめて感じてあげたい。こよなく命を愛したゴッホを。
私はかなり勘がいい、ただし金儲けの勘は全くないから真面目に働くしかないのだが、何故か人の心や優しさに関しては鋭い。それは実に見事なくらい当たる。昨日私が花を差し上げた店の方々は私を好いてくれているんだと分かっていたから、差し上げたんだが、あれから一年ちょっと立ったけど大事にしてくれていた。おまけに西日を避けてきちんと優しい場所に移されていた。私が自分の愛を差し上げるのはそこに優しさを感じれる心があるからなんだ。感じれない人に上げても無意味だからね。昨日はつくづく私は愛のある人を見抜く眼力だけは人並みはずれた才能を持っていると思った。
感じれる人も才能あるからなんだ。
逆に感度の悪い人も見抜く。こう言う輩はひたすら無視する。関わるだけ時間の無駄。多分、そう言う人は自己中心なんだ。与えるなんて言葉はそう言う輩の辞書には載ってない。心の貧しい輩だ。誰も心から愛さない人は乞食みたいに貧しい。そんな人から得るものなんて何もないんだ。
だから、私は私が愛した人を信じれる。私の勘は愛のある人とない人の区別には鋭い。
ない人に対する私の憐れみは絶望的な感じだ。こんな人が誰かを愛する事はあるのだろうか。人間はなかなか変わらないものだ。特に愛する能力みたいなものは天性のようなものだから、余計獲得は難しい。
私は天才とは神様の愛だと常々思っている。神様の贈り物でもいいけど。そう言うのを戴いた事を感謝するなら、喜びになるなら人々に与えるべきなんだろうね。昨日のようなことがあると、私は心の中で聞くんだ。[神様これで良かったんですね]って。
大抵黙って頷いているだけなんだが、私の心が晴れ晴れとしているのが許しと祝福の証だな。
いっぺん与えてごらん。疚しい心を捨てて。心の中で天使が微笑むから。
今日から暫く書斎には行かないことに決めているんだ。正確には昨日からなんだが。書斎にいると居心地はいいのだがサライの意識が飛び込んで来るんだなぁ。そう言うのも私の自由を奪っていたんだと気が付いてしまった。
私が人の気持ちになりすぎるからいけないんだけど。こうして離れてみるといろいろ気付かされることがある。
サライは私を監視出来る空間に閉じ込めておきたかったんだと。気付いてしまうともう逃げるしかないね。
優しいと言うのは本当なんだけど、下心に独占欲があったんだ。思い返してみるといろいろ思い当たる節がある。
私はあまり人を独占したいと思わないから気がつくのが遅かったなぁと内省中。遅めのプレゼントもそう言う意味だったんか。プレゼントなんかなくても言葉で言えばこんなややこしいことにはならなかったのに。
愛と憎しみは内容が同じなんだね。積極的か消極的な違いでしかない。
何かに拘る気持ちは同じなんだ。離れてみていろいろ分かった。
喜んで身を投じるか、ひたすら逃げるかで、どっちも我が身を滅ぼすね。
死ぬ訳には行かないんだ。やり残してる事があるみたいでサライのところで居心地いい時間ばかり過ごせないんだ。
小さな愛と大きな愛がある。両方大事だね。私が愛している者たちは大きな愛の渦の中を泳ぐ魚みたいだ。海がなきゃ魚は死んでしまう。
そんな気持ちにさせるのはサライのようないい子がいるからなんだけど。
読んで字の如し。
感じて動かなきゃ意味ねぇんだ。私は鈍感が嫌いだ。感じて微動だにせず策を練り上げ行動する。
これしかあるめぇ!と決めたら、狂い人と思われようが実行あるのみ。
何が私をここまで駆り立てるのか理解は出来ない。ほぼ本能に近い状態でしかない。人間は飯食わなきゃ死んじまうのと同じなんだ。
多分、空気だなぁ。飯以上に重要なんだが、あまり意識しないから存在価値が解らないもんで、あえて求めたりはしないのだが、酸欠になった時にはすでに遅しなんだ。
空気のような人は消えて初めて存在を知っていただける訳かよ。その前に気付けよな。
空間を替えるだけで気持ちが随分変わるものだ。好きな書斎で書いていると、サライのリズムに乗っている。
ここまではサライの意識が届かないのか全く別の感覚で物事を捉えられる。とにかく、多様な見方が出来るのが豊かな精神を養う源だ。
自分が安らげる空間があり、帰りたくなる家があるってのは自由をより強固にする。だから格好つけて孤独になっては行けないんだ。
おーい!サライ、寂しいよぉと言える人は必要だな。
本当に君には感動したんだなぁ。小さな感動ではあるが、安らぐ。
いつも嵐ばかりだとね。辿り着くまでにくたばるからね。
小さな感動から大きな感動がいっぱいあるのが幸せなんだね。


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