忍者ブログ
携帯から書く日々ブログ
[301] [302] [303] [304] [305] [306] [307] [308] [309] [310] [311]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

心臓が狂った様に動きだす。リズムが狂い、日常とは異なる肉体を感じる。何時収まるか予測のつかない時でも私は解放された時の穏やかな心臓のリズムを知ってる。苦しい最中に思う事はリズムが規則正しく動きだす時の喜びだ。私の心臓が何時も規則正しく動いていたなら決して味わう事のない喜びを私は何度も味わう。苦しみを知ってるから、喜びが解ると私は思う。当たり前の事が、気にもとめなかった事が心臓が狂う度に気がつかされる。聞きなれた日常の鼓動が安らぎにさえ思える。
PR
確な大地がないと植物も育たない。植物には個性があり、適した環境が必要になる。人間も同じで個性に合った大地にこそ花も咲く。幸い人間は足があり、考える頭がある。生まれ落ちた大地から離れ、自分に最も適した大地を探す事が出来る。尚且つ意識さえも選び直す事が可能だと言う事です。人間は自由です。エデンの園を自ら出て自由こそが人間の最大の喜びであると知ったのです。追われた訳ではなく好奇心から外の世界を見たくなったと言う方が適切なのでしょう。何事も無意識のうちに人は選び取っているのです。自由の意味を知る為に。愛されるより愛する事が神様の至福を奪うのです。神様は全ての人間を愛する事で人間の及ばない至福を飲み干しているのです。
私には家がない。どこもかしこも私の世界だ。私は感じる、感じて私は演じる役者に過ぎない。あらゆるものに私は溶け込む。私は私にこだわらない。ちっぽけな私にこだわり世界を失うならば私を捨てる事を望む。私は死を恐れない。何故なら、私は世界の至る所に存在し、何処にもいない。誰も私を捕まえる事は出来ない。私には意識がないからだ。外部の物事を意識で捕える。ただそれだけだ。意識のない生命は人間に捕まえられはしない。自由とは全ての意識から解き放たれたものを言う。私は感性だけの生物なのだから。
私には国が保証した資格はないが、哲学と心理学を合わせ持った道標を伝えたいと言う思いがある。しかし、私は私の才能を国の判断で勝ち取ろうとは思わない。私と直接会い、感じて欲しい。肩書きのない人間が持って生まれた才能は人間には計る事が出来ない。唯一、芸術家が才能に気がつく。国家には理解出来ないであろうし、学ぶ事も出来ない世界があるのだと解ってもらいたい。私は人間の天職は学ばずして、与えられたものだと信じている。国が与えるのは単なる判断基準に過ぎない。国にではなく、私が出会う人が一人一人が感じて欲しい。学歴もない私だからこそ、偏見を持たず聞いて頂けると信じている。
本棚には今でも子供が小さい時読んであげた本がある。見る度に思い出すのは、雨が降る夜の事。私は雨音が好きで二階の屋根に当たる音が嬉しかった。子供と二階に上がり好きな本を持ってこさせると下の子は一番分厚い本を持ってくる。甘えん坊は今も変わらない。だが、大人になり甘えん坊の自分を認めたくないのだろう。二人の子供に挟まれ本を読みながら聞いた雨音は最高の幸せだった。もう帰らない時ではあるが、私が生きている間は変わらず幸せの音であり続ける。


忍者ブログ [PR]
カレンダー
08 2024/09 10
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
[05/17 backlink service]
[02/04 オトナの即愛倶楽部]
最新記事
(04/22)
(04/18)
(04/15)
(04/14)
(04/14)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
最古記事
(06/24)
(06/25)
(06/26)
(06/26)
(06/27)
アクセス解析