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右の頬を打たれたら、さっさっと逃げる。左の頬を出す程私はお人好しではない。やられる度に毒を溜めていく。何時か使い道があると思うから。時には必要になる。私は聖人にはなれない。私が聖人ならとっくの昔に私は死んでいただろう。生まれてきて良かったとは思わないが、人から踏みにじられる理由はない訳だ。誰にもそんな権利はない。利益より私は私の権利の為に生きて、死ぬのも私の権利だ。どちらも私のもの。生と死。
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行ってみたい地がある。ドイツのアウシュビッツをみておきたい。初めてかも知れない。風来坊の私だったが、行きたくて行ってた訳ではない。居場所を探し回っていたに過ぎない。何処に行っても寂しさは消えない。愛されても駄目だ。自分が愛するもの、行きたい場所ではないからだろう。何故アウシュビッツなのか。獣の爪痕を見ておきたい。人間は残酷で獣にもなれる存在である事を忘れない為に。私には解るのです。私が暮らした場所はアウシュビッツでは無かったが、似た様なものだ。何等変わらない。何時しか私は逃げる癖がついていた。逃げる必要がなくなっても、悲しい癖が残された。憎みはしない。それは愛する事だから。だからと言って無関心でもない。忘れてはいけない気がするだけ。アウシュビッツに行きたい。その苦しみが解るから。傷付いた場所が故郷なんだ。そう思う様になり逃げる癖もなくなり、現実を見ている。
考えるのが苦手なのか、考えてもどうしょうもないかの何れかだと思う。何も考えたくもない。特に感じているものに関しては。考えた所でどうしょうもない現実がある。ビィクトル、フランクルなら解るであろう。現実に対して無力さを味わう。私に言う権利がない。もしくは言っても通らない時だ。言葉にすればただ愚痴になるしかない。余計気がめいる。もの言えば唇寂し。ただ、黙って日々を生きている時にも何等かの意味はあるんだろう。ビィクトルが収容所を生きて出られたのは奇跡でもあるが、人間の中の高貴さが生み出した、人間讃歌の歌でもある。そうありたい。
願い事を聞いてくれると言ったのを覚えているでしょうか?忘れていなかったら、今、その願いをします。どんな願いかは貴方が誰より知ってるはず。あえて言葉にはしません。私の力の限り生きて、これ以上私には進めない。
神様。その名には手塚先生も入っている。先生は私の事など忘れているのでしょうね。構わないのです。愛する者を私は神と呼ぶ。愛されていなくても構わない。愛するものを諦めてはいけないのだと思い知らされた。自信より謙虚だと思うようになり、素直に貴方の愛を受け入れ共に歩いて行けば良かったんだろうね。自信の無さから愛する者を諦めた報いはこんな形で私を苦しめる。気がつくのが遅かったのか、もしくは愛された事のない人間は愛を知らない。愛されたいと言う願いしか持てず、まるでこじきだ。時間が残されていない。やっと愛する事の意味を知ったのに貴方には会えないのだろうか。何度も巡りあっていながら気がつかない。知らない事が過ちの源。


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