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私は悪魔の子供と呼ぶ。普段は安らかな顔で眠っている。寝顔だけ見れば何等怖い存在でもなく、むしろいとおしい。ひとたび目覚めると何をしでかすか解らない存在でもある。だが、私はお前を信頼もしている。私の現実的な希望には目もくれないお前のなす事は何等かのメッセージを持っている。お前が何を感じたのか、そこに何の意味があるのかを私は考える。暴れるだけ暴れた後は無邪気な子供の顔で眠る。現実など忘れた様に。私はお前の存在を恐れた。何をしでかすか解らないお前の存在。破壊の子供、悪魔。ホトホと私は困り果てながらも許している。現実に生きている私の苦労はお前には解らないのだろうか。私の視点はお前が現れると神の視点に変わる。現実を眺めるだけの視点はあらゆる物事を冷ややかに眺める。全てが終わった時、二つの存在に私は気がつく。肉体の中にいるチッポケな私に帰る。弱い人間に帰る。慰めに肉体は何時か終りがくると呟く。見えない存在、貴方は永遠に生き続けるだろう。人間が人間である限り。私を踏み越え戦場を嘲りつつ、愚かな人間の争いの後に残された屍の上を歩く。
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ひたすら眠っていたい時がある。あがいても結局何も解決はしない。次第に諦めの気持が強くなる。こんな気分の時は大概アウシュビッツを思い出すと同時に子供の頃の記憶。無力な自分に対する怒りから自分の首を斬り裂きたくなる。激しい衝動と闘うのに疲れ、ただひたすら眠り続けたいと思うのだが、眠っていても獲たいの知らないものがこみあげてくる。吐気に気分が悪くなり結局起きるしかない。行き着く先は死にたいと言う願望だけになる。現実は何も変わらない。アウシュビッツの中で生き残った人間は最後迄希望を捨てなかった人間だが、自ら死を選んだ人間の気持も解らないでもない。次第に虚ろになっていくんだろう。何にも感じなくなりやがて死人と何等変わらない状態になる。一応会社に行き出来る事はするつもりではあるが。何時までこんな事が続くのかと思うと何もかもがどうでもよくなる。今の気分がマイナスでしかないと解っていても、疲れきった時はただひたすら眠る事しか望まなくなる。アウシュビッツではそれさえ許されてはいなかっただろうから、私はまだ救いがある訳だ。あ~生きて行くのは本当に骨の折れる作業だ。
人間としてどう生きるべきなのか、その疑問は常に私の中にある。父からも母からも人間としての教養を受ける事がなかった。彼等は常に世間体を意識した事しか言わなかった。誰もが同じ様に考えている事が正しいと思っていたのか、その辺りの両親の気持は私にはついぞ解らないままだ。今後両親とは会う事はない。血の繋がりを世間は強調するが、両親も役目としては親であったが、あくまで一時の役目に過ぎない。人間として両親を見る私の目と心はとうの昔に凍えている。普通の家庭がどう言うものかを私は知らない。私はあの家庭に生まれ、よその暖かい空気に憧れはしたが、触れた事がない。たまに訪ねる知人の家で暖かい空気に触れる。私のものにはなり得なかった世界。知らないものにはその世界は永遠に手が届かないものだろうか。親として彼等を見ていた時の私は従う事が子供としての役目だと思っていた。子供としての立場を離れる事に不安もあったかも知れない。関係が白紙に帰る時がある。血の繋がりより気持だと気がついた時だ。解って欲しかったが、無駄なあがきをやめて諦めた時気持が楽になりもした。人間として尊敬出来ない時、何時か別れは来る。
正しいと思った訳ではない。好きか嫌いかでしかない。善とか悪に分けて考える方が私には不自然に思える。過去を振り返り間違っていたと思う事はあるが、多分その時は私の立場が今とは違っていた。そうするしかない時もある。なるべくそう言う状況にならないようにするか、近付かない事だろう。正義と言う言葉が私は嫌いだ。そこに支配的な臭いがするからだろう。何時の時代でも人は正義と言う名のもとで残酷な事を成し遂げる。不必要な争いは全てが正義と言う仮面をかぶり自己正当化を繰り返してきたではないか。集団になると人間は怖い。孤独故に支配者にはなれない。だから私は永遠に孤独を愛する。
誰とも関わりなく生きていたい。それが今の私の気持だ。生きて行く為に無駄な我慢の連続でしか無かった。寂しがりではあるが、人間の中にいると虚しさを覚える。孤独な世界で私は満ち足りていられる。誰とも関わらない時間は平和だ。ここは戦場ではない。人が思い遣りを持たない限り戦場は存在し続ける。闘いは私の中にある。交わりたくないと言う思い、個人としての独立的存在でありつづけたい。例え、寂しくとも私が生きている自由だけは手放したくはない。肉体の為に自由を手放す事は出来ない。後悔はしたくないから。多分誰にも解ってもらえないだろう。ただ息をしているだけが生きる意味だとしたら私は死ぬ事を選ぶ。いずれ死ぬ。大事なものだけは手放せない。これが私の願いです。叶わないのであれば死を選ぶ。ここは戦場ではない。人と人が憎み合うのでは無く互いに学びあえたらよいのだが。


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