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パンを作っている私の周りには多くの知人が集まって来ていた。皆、我が家にいるようにくつろいでいる。たわいのない話が飽きもせず続く。気がつくと夕方になっている。うまくバランスが取れず、私は苛々もした。もっと昔は私のアパートは居候達でいっぱいだった。いつの間にか増えていく来客。人が集まる家は栄えると言われる。あれが私にとっての理想的な生活だった。人が集い語り合う場所として昔ならば、井戸端会議なるものがあった。我が家はそんな場所だった。当たり前のようにやって来ていた知人らに私は寂しさを忘れていられた。寂しかったのは私だけではないとも思う。私がまだ自分を分かりかねているのにも関わらず、私の原点とも言うべき生活があったと思う。
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事件の度にマスコミが騒がしくなり多忙になる。情報がメディアにとっては商品になっている。昔も様々な事件があったんだろうが、今の時代程には商品価値が無かったんだろうね。賑々しい顔ぶれを見る度に事件よりメディアの言葉の方が問題に思える。いい年したおっさんが!こんな大人にはなりたくない。反面教師は案外個性を育むには適切かも知れない。かって、価値あったものが価値を無くしていく。メディアも何時しか人々から必要とされなくなり、信頼も失う日が来る。もう、そこには大した価値がない事を知ってる者がいる。今、何が本当に必要なんだろう。与える事と奪う事のバランスが崩れていく。
まただ。同じ夢を形を変え見る。相変わらず鉢植えの植物。今回は前より大きな木に育っているものもあった。パソコンの調子が悪い。キーボードだけ買い換えるか。余り使い途がないのだが。新しい事を覚えるのが新鮮だ。今では車に乗る事もないが、免許取った時も嬉しかったな。次第に体が覚えて行くのが分かる時、私の身に着いたものになる。頭だけでの理解は私のものにはならない。社会的に何の価値もない人間として自分を見ていた時、私は死ぬ事しか考えなかった。あれからたった6年だ。私が経験した事が私のものだ、そう思った瞬間、私にとっての財産は私の過去にあると気付いた。記憶を頼り幼い日の私を訪ねる旅が始まったのは6年前。もっと昔のように思える。意識の転換期は節目、節目で何度か訪れてはいる。しかし、それは私自身を覆す程のものではなかった。少しだけ物の見え方が変わった位だ。私が立っていた大地は水草の上だったように思う。それほど頼りない大地に私は生きていた。だから、他の人より常識至上主義になる事はなかった、とも言える。何がいいかはその瞬間に判断すべきで、そこにはマニュアルはない。私はそんな道を歩い
てきた。地図のない道を。その道は私を精神へと導く道であったと確信している。
何が幸せかなんて誰にもわかりはしない。君が笑う時君は幸せなんだろう。そんな気がする。なんで君が笑っているのか、分からないけど、君の心が見つけた幸せがあるんだろう。
モナリザは何も語らないが語りだしたらとめどなく湧きいずる泉だ。モナリザの片目は現実を見据えもう一つの目は海の底か宇宙の彼方にある。あれはダビンチの目だ。モナリザの中に描き込まれたのはダビンチの意識でしかない。神秘は何が出るか分からない、が予め定められた軌道を描く。何故なら現実の欠片の中には多くの未来が予め記されている。ダビンチならずとも蟻の生体位は知ってる。人間の愚かな生体は知らないらしいが。不都合な現実に目を閉じるなんて芸当を人間はやらかす。なんせ、人間の寿命は100年位だ。100年後の事なんて見る事は有り得ない。さてと君は今、本当に生きているのか。今日を生きれないものに未来なんてありはしない。だから君が100年先を見ないのは当然かも知れない。なんせ君には未来がないのだから


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