携帯から書く日々ブログ
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占いは好きではない。人と会った時感じるものは信じる。命の奥底までみすかす人間がいると言う事実。私にとってはモナリザであり、それを描いたダビンチだ。人間の心や精神はある程度勘の鋭い人間ならばみすかせる。商売人は巧みに人間の欲望を利用する術を心得ているのだから。売ろうと思ったらまず必要を売るべきだ。なんでもいい。その人間が最も欲しているものを満たすものだったら。欲望は本物でなくても満足する。ほんの一時だが。一時だからいいのだ。経済はそうでなくては破綻する。
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ゴッホ自画像の告白にはゴッホの生の言葉が短く記されている。ゴッホ自身の内から溜め息のように漏れた言葉。もしくは安堵の溜め息。どんなに居心地の悪い我が家でもやはりそこに愛着を感じてしまう。ゴッホ自身も語っているように[ぼくが持っているいちばんいいもの]それはゴッホに現実の豊かさを与えないとゴッホも予感として書いている。私の中の最も美しいもの、それで私が生きれなかった時私には生きる才能がなかったのだと哀れんでください。これは私が昔書いた言葉だが、この言葉の意味は後からゆっくり現実の中で知った。現実は私の心の声に答えている。ならば、私が心と違う願いを持ったならば。とここまで考えて止める。出来たなら、とっくの昔にやっていた。
若い時頼まれて描いた絵は[寂しい目をしているのね]だった。自分では意識していなかったのだが、今でも私の描く絵は目だけは変わらない。寂しいなんて意識する暇も無く憧れを追い掛けていた。今はそれが私なのだと認める。問題はこれとどう付き合うか、その事で悩む。気がつかない時は物で騙せたのだが。知ってしまった今では自分を騙す事の方が疲れる。体を動かす事は騙している訳ではない。事実、働かなくては生きていけないのだから。これに関しては心も納得している。しかし、どうしたものか。
この道を行くと何処へ着くのか、着いてみん事には解らん。保証はないのだ。心ぼそくなり引き返したくても、車がない。来る時は確か、車で来たはずだが、肝心の車が見当たらない。帰るに帰れない。しょうがないな。ゴッホも思ったであろう。宿命は無意識の中に眠りながら力を及ぼす。自意識が目覚める前に命に宿る。なんの因果か。意識となり形をなす前の純粋な生命エネルギーなのかも知れない。時代の中で鎧の様な意識を纏い酸欠になる。人間は意識と言う衣装で身を守るのだが、度が過ぎた自己防衛は自由を代価として払う。
それにしても、しょうがないな。ゴッホが自身の人生に対して呟いたこの言葉が私は好きだ。自分の意思に反してつき動かす存在に、諦めと信頼の両方がある。本当にしょうがないな。誰よりもゴッホ自身が手をやいていたのか。面白いではないか。私はそう思う。ゴッホが残した言葉から生身の人間では出会えなかったであろう人となりを感じる。
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